法然上人の足跡
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■法然上人のあしあと

法然上人(幼名・勢至丸)9歳の時、保延7年(1141)に遺恨の争いで夜討ちに合い深手を負った父君、時国公の「汝、敵人を恨むな、恨みを結べばその仇また尽きる事がない。
速やかに我が菩提をとむらい、愛と憎しみを越えすべての人が救われる道を求めよ」と遺言された。
父を亡くし母とも別れ、叔父(母秦氏君の弟)の智鏡房観学得業が院主を勤める当国の学問寺、菩提寺に入り仏教を学ばれた。
「一を聞いて十をさとる」勢至丸の非凡な才能を早くから見抜いた智鏡房観学は、求道の志し厚い事を知り、あたら辺境の地に埋もれさす事を惜しんで、当時学問の(仏教)中心地であった比叡山へ旅立ちさせました。
勢至丸13歳春の事である。