法然上人の足跡
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■真葛ケ原のご対面について
真葛ケ原の地名は、現在の円山公園を中心とし、北は知恩院三門前より南は双林寺に及ぶ東山山麓一帯の旧称です。昔は閑寂幽静の原野で、真葛や薄、茅などが一面に生い茂り、また萩の名所でもありました。吉水はその真葛ケ原の東北の隅に位置しています。
この真葛ケ原で法然上人と善導大師が夢中対面したという伝説があります。すなわち「腰上半身尋常僧相、腰下半身金色仏相」の善導大師が法然上人の夢中に現れ「専修念佛の道を弘演することは甚だ希有のことである。わたしはそれを証明する為にきた」と告げられたと言います。
そのとき紫雪がたなぴき.雲間より美しい光が差し出で、また孔雀や鸚鵡その他百宝の色鳥が舞い降り、辺りに乱舞したが、それらの鳥もそれぞれの身から美しい光を放っていました。法然上人は急いで山腹に登り、遙に西方を見やると、半金色生身の善導大師が現れ、「念佛興行は世を満たし人々に及ぽすものである」と法然上人を励まされたのでした。
今日浄土宗の檀家のお仏壇には阿弥陀仏の右脇に半金色の善導大師を、左脇に法然をお祀りしていますが、これは真葛ケ原のご対面の様子を象っているのです。


■安養寺縁起
安養寺は延暦年間、桓武天皇が平安京に遷都された時、都鎮めの寺として、伝教大師が創建されました。比叡山延暦寺と同時代に建てられたお寺です。また法然上人の吉水草庵の旧跡としても有名です。浄土宗総本山知恩院は元、現在法然上人のご廟のある勢至堂の所にありましたが、徳川時代になって拡張され、現在の体裁を調えました。そして現在御影堂(本堂)のあります一帯は昔は白毫寺というお寺があり、知恩院拡張のため移転せしめられたのですが、知恩院拡張前の古い地図(応永の頃)にその白毫寺の地域に隣合わせたこの安養寺の寺域に大懺法院、吉水東新坊、吉水中坊、吉水西坊といった建物のあったことが記載されていて、それが吉水草庵であります。この地図によっても安養寺が「吉水の草庵」であったことは明白です。




■円山の由来
安養寺は、慈円山、大乗院、安養寺といい江戸時代には慈円山を「円山(まるやま)」と称し、それぞれ“阿弥”の名を持つ寺坊6ケ寺と本坊を構えた堂々たる一山寺でありましたが、明治初期の廃仏毀釈で境内地を失い、明治9年には公園地に指定されたが、明治32年の大火で六坊の建物は殆ど消失し、今は本坊、弁天社、雨宝堂を残すのみで、円山は公園の名としてとどめられています。なお六坊の一つ左阿弥は料亭となり現存しています。


■交通
京都市バス祇園下車東へ約15分円山公園上知恩院鐘楼横