法然上人の足跡
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■法然上人の足跡
保元元年(1156年)法然上人24歳の春、上人は師にしばらくのいとまをいただかれ、広く民衆を救うための仏教を求め、嵯峨の釈迦堂へ向かわれました。
ここには、釈尊の生身のお姿を写したという、三国伝来栴檀瑞像の釈迦牟尼仏があり、人々は「このみ仏は、生きておられる」と信仰を寄せていた。
上人はこの人々たちにまじって、釈迦牟尼如来のみ前に7日間参籠され、自らの心をみつめておられた。そして改めて不退転の誓願を生身のみ仏の前にたてられ、願成就のための加護を祈念された。
この釈迦牟尼如来は、現在も法然上人が拝まれたままのお姿で、お参りする私達を見守ってくださいます。
昔、お釈迦さまが生母である摩耶夫人に法をとくために利天にのぼられたとき、時の優填王や弟子達は慈母を失った子供のようになげき悲しんだ。そこで優填王は毘首竭摩に命じて、栴檀の香木で釈迦生身の尊像を作らせたのである。90日後お釈迦さまが戻ってこられ、自分と寸分違わぬこの像をご覧になって、「私が亡きあとはこの像が私に替わって衆生を済度するであろう。」と言って、大層お喜びになったという。のちに、この尊像はインドからヒマラヤを越えて中国へ伝えられた。中国に渡った、奈良東大寺の僧、然上人は、寛和元年(985)その尊像を模刻し日本に持ち帰った。尊像が模刻された時、5人の中国尼僧により釈迦如来像体内に絹で作られた五臓六腑等が施入され、昭和28年、釈迦如来像の体内より、中国尼僧の施入した五臓六腑が発見された。これは中国において千年の昔に人間の構造を知っていた事を示すもので、解剖学的にも貴重な資料である。また、レントゲン写真によって額には銀でこしらえた一仏がはめこまれてあり、目には黒水晶、耳には水晶が入れてあり、この尊像の霊魂として入れられたと思われる水月観音の彫られた鏡が納入されていることも確かめられた。完成した釈迦如来像のお顔に仏牙を入れた時、一点から血が出て、生身の仏であることを示されたといわれている。