法然上人の足跡
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桜ケ池  応声教院
〒439-0036 静岡県菊川市中内田915
TEL (0537)35-2633


法然上人の足跡
法然上人は比叡山から奈良や京都の高僧に教えを受けるため各地をたずねられた。治承元年(1176)法然上人44歳の時、法然上人が比叡山で御修学の際、天台の三大部六十巻を学ばれた時の師範である皇円阿闍梨をしのばれて、ご遺跡であるこの桜ケ池に参拝されたと伝えられている。

寺院暦
今から1千有余年前の斉衡2年(855) 比叡山の慈覚大師が文徳天皇の勅願所として天岳院を創建された。
法然上人が比叡山で御修学の際、天台の三大部六十巻を学ばれた時の師範である功徳院、皇円阿闍梨のご遺跡である。
浄土の法門を開宗された法然上人は、治承元年(1167)大蛇になられた皇円阿闍梨をしのばれて桜ケ池に参拝され、念仏の功徳力を以て御師皇円阿闍梨の化身大蛇の苦患を除かれた(勅伝第三十卷一段)。
これにより当院を桜ケ池菩提所と定め、浄土門に改宗し応声教院と改称され、東海最初の念仏道場として隆盛をきわめ今日に至っている。
この縁故で当山には皇円阿闍梨、法然上人、熊谷蓮生房等多くの宝物が蔵されている。

法然上人と皇円阿闍梨の桜ケ池伝説
法然上人と皇円阿闍梨の桜ケ池伝説この桜ケ池には、伝説があり皇円阿闍梨と法然さまの本によるとこう書かれている。
皇円阿闍梨は、仏様の教えについて勉強していたが、人間の定めとはいえ、人が死の苦しみから救われる教えを究めることができなかった。
そこでなんとかして仏様に会い生死の苦しみを救う教えを受けたいものだが、お釈迦様はすでにお浄土におられ、この世には56億7000万年ののちに、弥勒菩薩様があらわれて、人々に説法されると聞いているが、いまの我が身は、お釈迦様と弥勒菩薩様の中間に生まれて、どうすることもできない。
一番長生きすると言われる大蛇になってこの世に住み、弥勒菩薩様のあらわれるのを待つしかないと考えられて、池を探した。
探していたが、なかなか願を叶える池に巡り会えず途方に暮れていたところ観音様が夢にあらわれて、「遠江の国、笠原荘にある桜ケ池を訪ねよ」とのお告げがあり、皇円阿闍梨は、はるばるこの池を訪ねた。
そして一度都に戻られた皇円阿闍梨は、桜ケ池を持つ花山院家に手紙を添えて、大蛇になって住まうことの許しをうけられ、嘉応元年(1169)6月13日、深夜に法然上人を招いて今世の別れを惜しみ、池から持ち帰った霊水を手のひらに注ぎつつ、那伽定(龍となること)されたと伝えられている。
黒谷の青龍寺で勉学されていた法然上人は、善導大師の書かれた「観経の疏」(阿弥陀如来の教えを説いたもの)を読んでいたところ、散善義の教えのところで、ただ一心に阿弥陀仏の名号を称えれば、阿弥陀如来は、人々の生死の苦しみを救って下さり、極楽浄土に往生できるという深い教えを知り、承安5年(1175)念仏の教えを広めるために浄土宗を開かれた。
この時、桜ケ池にすまわれている皇円阿闍梨をしのばれて、「ただ一心に南無阿弥陀仏と称えれば、極楽浄土に往生できる」というお話を申しあげたいと、弟子2人をつれて桜ケ池を訪ねられた。
法然上人は池に向かって一心に念仏を称えられると、不思議なことに皇円阿闍梨が比叡山でお別れした時の衣のお姿で合掌しながら水面にあらわれたのです。
皇円阿闍梨は、自分が住んでいる龍宮城で、法門の談義を交えたいと話されて、法然上人を池の底へと招かれた。
この時、池の水が左右に別れて、師資(師匠と弟子のこと)ともども龍宮城に行かれたという。
龍宮城にきた法然上人は、館の縁に並べられた大きな6つの壺を見て「これはなんですか」と皇円阿闍梨に訪ねられた。
すると皇円阿闍梨は壺の蓋をとり「この中には無数の小さな蛇がいる。
この小さな蛇も、私の一族だが、私がここに住むようになってから、仏法のまじないで、この壺の中に封じ込めている。
私は、これからの一族を束ねる大蛇身だが、この小さな蛇もともに弥勒菩薩様の教えをうけて、成仏することを願い、こうして時の来るのを待っているのです。」と話をされた。
法然上人は、師匠の皇円阿闍梨が、龍宮城で大蛇身の苦しみをうけながらも、多くの生き物を救うことをひたすら願われているのかと思うと涙がとめどもなく落ちてきた。
そして法然上人は、阿弥陀如来様の本願に、人々が安心して成仏できる、念仏の法門を開いたことを報告し、皇円阿闍梨は、法然上人の話される、他力(仏様の力によって救われる)の教えに、じっと聞きいっていたという。
ひさかたに、師匠の皇円阿闍梨と談義する法然上人は、一体の歯吹阿弥陀如来を師の前に差し出された。
この仏様は、法蔵菩薩様と呼ばれていた時、人々を救うために四十八願の誓願をたて、その1つなりとも成就しないときは、決して仏様にはならないという、厳しい修行を積まれた後、阿弥陀如来様になられたことを説いて話された。
ことに、第十八願は念仏往生のご誓願で、この教えは、阿弥陀如来様を一心に念じただひたすらに「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、阿弥陀如来様は十方衆生(あらゆる世界)の生きとし生けるすべてのものを、極楽浄土(仏の世界)に導いてくださるという他力(仏様の力)の法門をのべ、この仏の誓願におすがりすれば、大蛇に身を変えて、弥勒菩薩様のあらわれるのを待たずとも、もはや極楽世界に往生されることはうたがいなく、諸仏のもとにいくのもたやすいことです。
どうか、弟子法然のこの法門で、早くまことの仏道にご修行をなさって下さいと、ねんごろにおすすめした。
この話を聞いた皇円阿闍梨は、「我が志を変えることはできない。
だがよく考えてみると、こうして大蛇の苦しみを受けているのも後の人のため。
私は、自力の修行で成仏できなかったから、大蛇となって桜ケ池にすむと聞いたなら、自力の修行は難しくなかなか成仏できないことを人々が知る知ることになる。
そうなれば法然房よ、そちらの開いた念仏の法門を、人はことさら信じるようになるだろう。
そのことを思えば、大蛇になった苦しみも、決して我が身の苦しみとは思わぬぞ。
そして、歯吹の阿弥陀如来様は、わが1人のものになれば世の人の利益も薄くなる。
よって、広く人々にこの功徳を与えるために、ここより北にいった内田の里に、天岳院(今の応声教院)とよぶお寺がある。
そこにこの仏様をお祭りし、念仏の教えを長く広めるとともに、わが供養をほどこしてほしい。」と悟られた。
龍宮城をでられた法然上人は、池のほとりにとどまり、お師匠様に別れをされた。
そして「いままで平生のお姿でお目にかかっていましたが、大蛇のお姿をお見せ下さい。」と願われたのです。
すると、にわかに池の水が渦をまき、あたりは雲に覆われて闇となり、たちまち大きな大蛇があらわれた。
「このように大蛇でいるのもみな後の人のため、我が身だけの修行では容易に成仏できないことを、この身をもって教えている。我がひとりこうして苦しむことで、後の人々が救われるのなら、永久に桜ケ池の底で泣き明かしたとて、この身は少しもいといはしない」と話された。
このお言葉を聞かれた法然上人は、お師匠様の慈悲にむせび、ややもして、大蛇にむかってたずねられました。
「お師匠様、大蛇には3つの苦しみがあるときいております。その苦しみはいかがなものでしょうか。」「よくぞたずねてくれました。弟子なればこその思いやりに嬉しく思うが、大蛇には八万四千の鱗があり、その1つの鱗に8万4千の虫がつき、朝となく夜となく、この身を苦しめるのがつらい。せめて、この苦しみを取り除く法門があるなら教えてほしい。」と目に一杯の涙をためて話された。
ああ、なげかわしいかな、阿弥陀如来のお力におすがりするしかこの苦しみを取り除く方法はない。
法然上人は大蛇に向かって「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えながら、水晶の数珠で大蛇の体を3度撫でられた。
すると、8万4千の大蛇の鱗は、木の葉のように風に散り、荒れ狂っていた大蛇は、涙を流して喜び「法然房よ、よくぞここまで修行なされた。
私は、なによりも嬉しく思う。」と最後の言葉を残して、池の底へ帰っていかれたという伝説がある。