| 三河の諸人は別れを惜しみ、なげき悲しんだため、法然上人自ら等身大の御尊像を刻み、「これをもって生身の我と思え」とし、後世に残されました。
弘治元年、天蓮社隆国 公無哲上人の時、浄土宗となり、慶長十六年岡崎城主本多豊後守藤原康重御菩提所となる。第二次世界大戦で本堂及び諸堂を焼失し、多くの仏像、宝物、古文書などを失ったが、本尊の阿弥陀如来座像、法然上人御影像(自作)、弁財天木座像弘法大師作)熊谷直実(蓮生坊)の法然上人画像と法然上人直筆の六字名号の合作による「三河名号」法然上人絵伝、来迎仏画(恵心僧都筆)が残る。
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