法然上人の足跡
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指図堂

寺院暦(沿革)
    華厳宗 総本山東大寺指図堂 東大寺は天平十三年(741年)聖武天皇の勅願により、大和国金光明寺を前身とし、国分寺として創建され、奈良七大寺の一つで、大仏殿は若草山麓に魏然として聳え、「金銅廬舎那仏」は世界に名高い。
     指図堂は大仏殿の西方100m、勧進所に南面しており、堂内には「草鞋ばきの法然上人御画像」が奉祀してある。
     東大寺は治承四年(1180年)、平清盛の命をうけた嫡男重衝の兵火によって、興福寺と共に焼失したが、法然上人の推挙により東大寺復興の大勧進職についた俊乗房重源が源頼朝の支援を受け、鎌倉期の大仏殿再建に全力を注がれた。その後、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、大仏殿が焼失し、その100年余り後、三度目の再建する気運が持ち上がった。
    この辺り一帯は、復興事務所ともいうべき勧進所の建物群が立ち並び、大仏殿の計画図面を(指図という)を展示するお堂が立てられた。
    指図堂という名称は、このことに由来している。
    寛政3年(1791)、そのお堂は大風で倒壊したが、浄土宗の熱心な方々の助力を受けて、嘉永5年(1852)頃、完成したのが、現在の指図堂である。
    堂内に奉祀されている「草鞋ばきの法然上人御画像」を参拝することで、当時の颯爽たる法然上人の御姿が見えるようで、自然と頭が下がる思いがする。
     また建久元年(1190年)大仏殿上棟後、法然上人が後白河法皇の宸命による重源の請を容れて、大仏殿の南廂において勧経曼荼羅と浄土五相の御影を供養して、重源上人が中国から持ち帰った善導大師の影像を前に三日にわたり「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の「浄土三部経」等を説かれた。
     こうして南都に念仏門興隆の縁を布かれ、この事跡を永く記念せんがために建立された勧進所の阿弥陀堂に五劫思惟の阿弥陀仏が祀られている。