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浄土宗の法話【2013年5月15日】

怨讐をこえて

   「怨」という文字を、辞書で調べてみました。

   上半分はふたりの人間が体を窮屈に折りたたんだ様子を意味しており、総じて心が押し曲げられている状態、残念無念な感情を表しているのだそうです。

   なるほど、私たちも心のどこかにそういう思いを抱えています。普段は心の奥底にしまっているけれども、ふとした事で怨みの感情がよみがえり、暗く悲しい気持ちになったり、衝動的な怒りに駆り立てられたりします。それだけでなく、知らず自分の言動がもとで他人に怨みの感情を抱かせる、加害者になっている場合だって皆無とはいえません。

   怨みの思いは、人間個人の問題にとどまらず、民族間や国家間におけるさまざまな緊張状態の原因になっています。怨みは時として歴史の一部にまで昇華し、子々孫々に受け継がれてゆく場合があります。怨みは大変に恐ろしい感情です。

   お釈迦さまは『法句経』のなかで怨みについて、「怨みは怨みによっては鎮まらない。怨みを捨てたときに、その怨みは止むのだ」と説き示されています。たしかに教えの通りであるけれども、それが出来ずに今日もまた、怒りの炎に怨みの薪をくべ、自分で自分を苦しめているのが私たちの姿であります。

   浄土宗を開かれた法然上人は、岡山県の地方豪族の一人息子に生まれ、本来ならば父親の跡を継いで人生を送るはずでした。しかし、9歳のときに父親が敵対者によって殺害されてしまいます。当時の常識からすれば、息子はこの怨みを片時も忘れることなく、いつの日か必ず仇を討たねばなりません。

   しかし、法然上人のお父上は遺言で「私の仇を討ってはいけない。お前が敵討ちを果たしたら、今度はお前が仇になってしまう。お前はお坊さんになりなさい。そして仏道を歩みなさい」と申し渡しました。怨みはどこまでも連鎖することを案じ、息子がそのような人生を歩むことを禁じたのです。法然上人のお父上が、先述の『法句経』のお言葉をご存知だったのかは分かりませんが、この遺言はお釈迦さまのお言葉に合致していることを、心に深く頂かなければなりません。

   また、法然上人は晩年になって、念仏弾圧のうねりの中、流罪に処せられるという大変な災難に直面します。お弟子の中には弾圧勢力に対して、怨みの思いを抱く者もあったろうと察せられますが、法然上人は今回の流罪を、地方で伝道する絶好の機会と頂き、むしろ弾圧勢力に感謝しておられます。法然上人の宗教者としての歩みは、怨みを捨てることに始まり、それは晩年まで続いていたことが伺えます。

   西方浄土へ往き生まれるという、怨みの感情を越えた大きな願いがお念仏であります。私たちもその願いの中を歩んでいきたいものです。

宮崎県日向市 浄土寺 八尋 光樹