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浄土宗の法話【2014年6月1日】

義経の続飯(そっくい)

    「考えと続飯は練るほど良い」ということわざがあります。
続飯とは「そくい」あるいは「そっくい」と呼ばれ、ご飯粒をヘラで練った一種の糊です。練れば練るほど粘り気が出るといわれ、かつては紙や木の貼り合わせに使われていました。
    この「続飯」について、源義経と武蔵坊弁慶のこんなお話があります。ある時、たくさんの続飯が必要となり、義経と弁慶が、どちらが早く続飯を作れるかを競い合ったというのです。力自慢の弁慶は一遍にたくさんの続飯を作ろうと、お櫃一杯の飯をまな板の上にあけ、長刀のような大ベラで力まかせに捏ね始めました。一方の義経は飯を一粒ずつ取り出して丁寧に練りつぶすということを繰り返したといいます。その結果、出来上がった糊の仕上がりに差が生まれます。弁慶のこしらえた続飯は粒が残っており、粘着力に欠ける粗悪なものでした。片や義経の作り方は、一見すると効率の悪いやり方に思えますが、出来上がった続飯は、粘り気の強い素晴らしいものだったというのです。
    私はこの話にお念仏の称え方に通じるものを感じました。木魚や伏せ鉦を打ってお念仏を申す時、本当はひと声ひと声に「あみだ仏助け給え」の思いを込めてお称えをすべきでありますが、実際にはどうでしょうか。称えているうちに気持ちが散漫になってしまい、ただ口先だけの空念仏に陥っている自分に忸怩たる思いをさせられることが多々あります。これでは弁慶の続飯と一緒です。

      池の水 人のこころに似たりけり にごり澄むこと さだめなければ

という法然上人のお歌がありますが、今澄んでいると見えた池の水も、蛙が跳ねたり、風が吹いたりといった、ほんの些細なきっかけで、たちまち濁ってしまうように、私の心は何とひとつところに定め難いことか。誠の心で申す「至誠心」も、至らぬ我が身と、それでもなお救うと思し召し下さるご本願を心から慕い信じる「深心」も、僅かながらこれまで積んだ功徳をすべて振り向けて往生を願う「廻向発願心」も、これではあったものではありません。

    しかし、有り難いことに「たとえば葦のしげき池に、十五夜の月の宿りたるは、よそにては月宿りたりとは見えねども、よくよく立ち寄りて見れば、葦間を分けて宿るなり。妄念の葦は茂けれども、三心の月は宿るなり」とのお言葉があります。妄念だらけのお前のお念仏でも、極楽を恋い慕う思いで申せば「三心具足のお念仏」と聞き取って下さるぞ…というお示しは何と励みになることでしょうか。
    そんな阿弥陀さまのお慈悲を頼りとして、義経の続飯のように丁寧に、一念一念に「願往生」の思いを込めて「南無阿弥陀仏」と称えさせて頂きたいものです。

千葉教区 医王寺 八木英哉