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浄土宗の法話【2015年05月15日】

戦後七十年に想う

 今年は戦後七十年の節目の年にあたります。あの戦争によって、小さな子どもからお年寄りまで大勢の方々の尊い命が失われました。その失われた尊い一つ一つの命の事を、日頃忘れがちな私たちではないでしょうか。今ある生活も含め、深く考える年にしたいものです。
 当時、『特攻の母』と慕われた方で、鳥濱トメさん(一九〇二-一九九二)という方がおられました。トメさんは昭和四年、鹿児島県は知覧の地に富屋食堂を開かれました。当初はごく普通の食堂でしたが、昭和十六年に知覧飛行場が完成すると、その食堂は軍の指定食堂になりました。そこへ多くの若い兵隊さん達が、トメさんの人柄を慕い訪れるようになりました。
 そんなトメさんを慕う兵隊さんの中に、Mさんという二十四歳の青年がいました。
 Mさんは厳しい訓練の続く中、休みになると必ず富屋食堂を訪れていました。しかし、他の兵隊さんとは一言も話さず、いつも独りぼっち。そんなMさんにトメさんは、まるで我が子のように接しておられました。するとある日、Mさんはトメさんに、こう告げたのです。「おばちゃんだけだったよ。いつも優しくしてくれたのは。それが嬉しくて、ここに来るのが楽しみだったんだ。でもね、おばちゃん、その楽しみも今日が最後。僕、明日出撃なんだ。だから、お別れに僕の故郷の歌を歌ってもいいかな?」そう言って、Mさんは帽子を深々とかぶり、トメさんと一緒に故郷の歌を大声で涙ながらに歌いました。Mさんとの別れに際し、トメさんは娘二人と一緒に写っている写真をそっと手渡しました。「おばちゃん、ありがとう。みんなと一緒に出撃して行けるなんて、こんなうれしい事はないよ」そう言い残し、トメさん親子の写真を胸に翌朝、出撃して行かれたそうです。
 申すまでもなく、トメさんはMさん以外にも、多くの若き兵隊さん達を涙の中から戦地へ見送っていかれました。
 トメさんは後に、平和の語り部として、いつも【私は多くの命を見送りました。引き留める事も、慰める事も出来ず、ただただ、あの子達の魂の平安を願う事しか出来ませんでした】と言っておられたそうです。その言葉通り、トメさんは、戦後すぐに飛行場の跡地に基標を立て、再び戻ることのなかった若き兵隊さん達の極楽往生を願い、欠かさず毎日毎日、ご供養されたそうです。
 現在、その墓標は『特攻平和観音堂』となり、トメさん亡き後も、全国各地から大勢の方がお参りに来られる所となりました。
 「心が かたちを求め  かたちが 心をすすめる」
 改めて戦後七十年の節目の年に、若くして尊い命を散らしてゆかれた兵隊さん達や、この戦争によって失われた多くの尊い命に想いを寄せ、掌を合わせ、心のこもった念仏供養の誠をささげましょう。

合 掌

滋賀教区 甲賀組 西蓮寺 長谷川秀史