
法然上人に帰依した鎌倉時代の武士。武蔵国(埼玉県児玉郡)御家人猪俣党野次広忠の子と伝えられています。
建久3(1192)年、比叡山の延暦寺堂衆鎮圧に向かう途中、比叡山八王子の社壇に登るとき、11月15日思うところあり法然上人を訪ねました。
そして「自分のような罪人でも本願を信じて念仏すれば救われるとは分かっているが、それは平静のときのことで、これから戦地へ赴き、人を殺すであろうという気持ちにあってはどうしたらよいのか」と問いかけました。
すると法然上人は、「お念仏することによって、善悪、行の多少、身の浄不浄に関係なく来迎に預かるということを疑ってはなりません」(戦陣で命を失っても念仏をすれば来迎に預かる)と。忠網は感激し、「自分の往生は今日に決った」といい、鎧の下に法然上人からもらった袈裟をかけ、戦地に赴きました。そして傷つき今が最期の時とさとった忠綱は、群がる堂衆の中で奮闘し、合掌高声念仏し往生を遂げたと伝えられています。
(参考『九巻伝』5上、『翼贊』26。浄土宗新聞平成12年11・12月号記載)