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法然上人のそばに仕えた弟子たち

遊蓮房円照(ゆうれんぼうえんしょう)(1139ー1177)(保延5ー治承1)

藤原道憲(信西入道)の三男、母は高階重仲の娘。俗名は藤原是憲。平治の乱で父信西に連座して配流解官され、21歳で出家、遊蓮房円照と号した。また信濃入道とも呼ばれ、西山広谷に住し、はじめ法華経を学んだが、のち一向念仏に転じ、念仏現証の人として一族は仏のように崇敬したという。

円照は、39歳で病に没するが、その臨終に際して、法然上人を臨終の善知識に迎え、立ち会っていた法然上人は、9遍の念仏までしか出てこない円照に「もう1遍」と励まされ、10遍のお念仏により往生したというエピソードが伝わっている。

円照は、日常にわたって法然上人に仕えたという弟子ではないが、法然上人の広谷(西山)の庵室は円照から譲られており、法然上人にとって特別な弟子であり、両者の関係の探さを物語っている。

また、法然上人は「浄土の法門と遊蓮房とにあへるこそ、人界の生をうけたる思出にて侍れ。」(浄土の法門と円照に出会えたことがこの世に生をうけた一番の喜びである)(勅伝)といつも言われたという。円照との出会いと念仏との出会いを同じように大切なことと述懐している。これは法然が1175年(承安5)専修念仏帰入と同時に下山し、広谷に住された理由を解する重要な言葉で、三昧発得の人円照とのかかわりを示すものである。

(参照『明義進行集』、伊藤真徹「法然上人と通憲一族の帰浄」(仏大学報26)、伊藤唯真「遊蓮房円照と法然」(香月乗光編『浄土宗開創期の研究』)浄土宗新聞平成12年11・12月号)