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法然上人のそばに仕えた弟子たち

勢観房源智

勢観房源智(せいかんぼうげんち)(1183-1238)(治承7-暦仁1)

勢観房あるいは賀茂(かもの)上人という。また、現在総本山・大本山となっている、知恩院及び知恩寺二世として多くの信者を集めた。平師盛の子、平家没落のとき、父は戦死し、母とともに源氏の探索からのがれ、13歳のとき法然上人の室に入ったが、平家の子孫であるため身の安全を慮って慈円のもとで出家得度した。のち、基礎教育のために、法然上人の弟子感西(かんさい)の許で勉学に励むこととなる。しかし、4年後に感西が逝去したため、法然の座下に帰り浄土の教えをうけて以来、法然上人が亡くなるまでの約18年間随侍し、秘書的役割を担うこととなった。
その法然上人の臨終に際しては、亡くなる2日前、浄土宗の教えの(かなめ)を記した『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』を授けられ、その他円頓戒の道具、本尊、大谷の坊舎、聖教などを譲られた。弟子に蓮寂・浄信・宿蓮があり、この流を紫野門徒という。「源空(げんくう)法然上人の思うところは、この他に全く別の義は無い」というほどの大切なもので、源智は常に首からさげ、誰にも見せることは無かったという。しかし、親交の厚かった川合の法眼(ただすのほうげん)という人の願いに応えて見せたのが世に広まるきっかけとなった。
他にも、ある一大事業を計画している。それは760年余り経った昭和49年に日の目を見ることになる。

滋賀県玉桂寺(真言宗)の阿弥陀立像の胎内から46,000に達する人の名が書かれた「結縁交名帳(けちえんきょうみょうちょう)」が発見された。
源智が、その年に亡くなった法然上人の供養のために阿弥陀仏像を造立、中に、結縁した人びと、また、亡くなっている人の名は、その近縁者によって署名された交名帳を納めた。
署名は東北から九州の人にまでおよんでおり、交通手段もない時代に、これだけの署名を集めるには、全国に広がっていた念仏者の協力はもちろんのこと、それを束ねるけん引者の存在なくしてはできるものではない。それが源智だったのだ。

阿弥陀立像の胎内には「建暦2年12月24日沙門源智敬白」と書された願文も発見された。これには「私が歩んでこられたのは、海よりも深く、山よりも高い法然上人の恩徳のおかげであり、さらに法然上人はお念仏によってあらゆる人を救ってくださった。ここにお納めする人びとも同じようにお導きを願うものである」といったことが書かれていた。2人の師弟関係をよく表したものである。
晩年、賀茂の上人と呼ばれた源智は、暦仁元(1238)年12月12日、56歳で賀茂の功徳院にて没した。
著書に『選択要決』1巻、『御臨終日記』(醐醍本所収)、『一期物語』(同上)がある(一二・一二寂)
(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)

→800年の時を経て、
玉桂寺阿弥陀如来立像が浄土宗におもどりに

勢観房源智上人略年譜