浄土宗について


特集

  • 震災復興
  • こころと命の電話相談室
  • 浄土宗全書検索システム
  • 宗祖法然上人800年大遠忌 2011
  • 浄土宗携帯サイトのご案内

関係団体リンク

  • 浄土宗ネットワーク
  • 浄土宗出版
  • 浄土宗総合研究所
  • 浄土宗報恩明紹介
  • 浄土宗教学院
  • 全国浄土宗青年会
  • 浄土宗スカウト連合協議会
  • 法然上人をたたえる会
  • 浄土宗平和協会
  • その他 関係団体
  • その他 関係団体

武士としての苦悩

熊谷直実 (くまがいなおざね)(1141-1207)(-建永2)

源平合戦で実績をあげた御家人。晩年は法然上人に師事し、熱心な念仏信者として著名。 熊谷入道と通称。法名は蓮生房・法力房などと号した。俗姓は平氏。

武蔵国熊谷(埼玉県熊谷市)の住人熊谷次郎直貞の次男として生まれる。直家の父。親子共に源頼朝の部下として数次の源平合戦において手柄をたて鎌倉幕府の創設に尽力す。

平氏方の軍勢に加わるも、源頼朝の逃走を助け頼朝に従った。しかし、息子と同じ16歳の平敦盛を討ったことから無常を感じ、それをきっかけとして出家し法然上人に師事した。

直実は1192年(建久3)久下直光との所領争いに敗れ、自ら髪を断ち、上洛して安居院の澄憲のもとを訪れて出世の要道を問う。「自らは戦の中にあって多くの人をあやめてきた。 その自分が浄土往生するためにはどうすればよいのか」といった質問をぶつけたようであるが、法然上人は「罪の重い軽いをいうよりも、ただ念仏を申しなさい。そうすれば必ず極楽に生まれることができます」と。 直実は涙を流しながら「自分は手足を切り落としでもしないかぎり救いはないと思っておりましたし、そうするつもりでおりました。ところがお念仏さえすればよいというお言葉に感涙してしまいました」と、その胸中の苦悩をもらしている。

直実、澄憲のすすめにより法然に師事した。法然の易行専修念仏の教えを聞いて直実深く感ずるところありて常に法然の側近に随従し、ひたすら念仏の行に励んだ。

行住坐臥に西方を崇敬し、背を向けることをさけた。

とくに直実が法然と分れ、郷里関東熊谷に下るとき、逆馬にて下向した逸話は直実の武将としての実直さと念仏信仰の熱烈さをよく物語っている。

元来が気性の激しい性格のためか、その傾倒ぶりも激しく、京都から関東熊谷に帰る時も、西方に、そして法然上人のいる京都に背を向けないため、後ろ向きに馬に乗ったという逸話もある。 また、上人の弟子源智が所持していた、法然上人のお名号を取り上げてしまい、上人にたしなめられる、といったエピソードもある。 もっとも、そうしてたしなめられることすらも、直実にとっては喜びであったようである。

熊谷に帰ってからも浄業怠ることなく、往生においては、建永元(1206)年、同国村岡の市に高札を掲げて自ら往生を予告し、大衆の前で念仏をとなえたが果たせず、さらに翌年9月4日、再び予告し、その言葉通り浄土に往生した。

なお、宇都宮の蓮生房(れんしょうぼう)と区別して、熊谷の蓮生房(れんせいぼう)と呼ばれている。

(浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)