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武士としての苦悩

津戸三郎為守 (つのとのさぶろうためもり)(1163-1243)(長寛1-仁治4)

入道尊願。法然上人に帰依した武士。源頼朝の御家人。武州多摩郡荏原(えばら)荘(東京都国立市あたり)の住人津戸次郎為広(関東武士)の三男。法然上人の弟子で、浄土真宗の開祖親鸞聖人が法然上人の消息等を集録した『西方指南抄』に「オホコ(大胡太郎実秀=上野国の武士)・シノヤ(渋谷道遍=相模国の武士)・ツノト(津戸三郎為守)、コノ3人ハ聖人(法然上人)根本ノ弟子ナリ」と記され、古くから法然上人に帰依していたようである。

1180年(治承4)頼朝の幕下にいり、石橋山・安房国の合戦に功をたてた。95年(建久6)頼朝が東大寺の落成供養に参詣のとき供奉して上洛し、法然の教えをうけて出家し、尊願と称した。関東へ帰還後もひとえに法然の教えを信じて念仏した。

源頼朝に仕え、建久6(1195)年、頼朝の東大寺供養にお供した折、法然上人を紡ねて入信した。 関東へ帰国後も念仏を勧め、その輪が広がっていったが、そのことにより、鎌倉幕府で念仏に対する詮議が行われる。 為守はその説明のために法然上人に指示を仰ぎ、結果、その文書の指示通りに進み、事なきを得た。そうしたやりとりがあったためか、現存する法然上人の消息30通 ほどのうち、9通が為守宛のものである。 仁治3(1242)年、釈尊、法然にならって80歳の浄土往生をのぞみ割腹する。しかし絶命にはいたらず、翌年の往生となった。

『和語燈録』の中に数通の書状が入っており、法然との密接な関係がうかがえる。とくに9月28日付の書状は、法然の病状を考える上で大切なもの1243年割腹往生をとげたという。(1・15寂)参考『九巻伝』4下、『勅伝』28、『滝山大善寺志』『翼賛遺事』『西方指南抄』下本、『拾遺和語燈録』中。

(浄土宗大辞典・浄土宗新聞平成12年11・12月号記載より)