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阿弥陀仏に生かされているいのち

その恩にむくいる生き方を

脳死と臓器移植の問題について、浄土宗総合研究所『脳死・臓器移植問題に対する報告』では

「臓器移植の問題は、提供する側と提供される側に区別される。提供することに対しては、拒否する根拠は極めて少ない。純粋な気持ちから他者の幸福を願って、自らの臓器を進んで提供しようとする姿勢は評価すべきである。臓器の提供を受ける側としては、自然な命の営みに抗してながらえるものであることを自覚し、さらに提供する人をはじめ、さまざまな縁によって移植できることを感謝し、その恩に報いる生き方をすることが望まれる」

としている。そしてその根底は、「念仏の教えをどのようにいただいて、生きていくのかという目的のもと」に語られている。
法然上人は生命を第一の宝としながら、その生き方は「お念仏を申しやすいように」と語られている。
生命科学の発展によって、人為的に生命を操作できるようになってきた今、人間はどう生きるべきかという問題が大きく浮上してきた。法然上人の時代には、もちろん、今日の生命科学の問題は存在しなかったが、逆に今、上人が語られた「生命観」がきわめて重要なものになってきたといえよう。

『法然上人行状絵図』には、次のような上人の言葉がある。
「いけらば念仏の功つもり、しなば浄土へまいりなん。とてもかくてもこの身には、思いわずらふ事ぞなきと思いぬれば死生ともにわずらいなし」

先端医療によって生命を保つことができるようになったことは人類の大いなる進歩であり、喜ぶべきことである。しかし、ただ、生命を長らえればいいというものではない。「生かされている自分」という思いを失っては、たとえ命を長らえても、その命を本当の意味で生かすことはできないであろう。

提供する側、提供される側、それぞれが、尊い命をいただく私たちだ、ということを自覚したい。また、この機会をとらえて家族で話し合うのも良いことであろう。