教化資料top
教化資料
4.高僧帰依の徳(3)

上田見宥師の教化資料を掲載していきます

◎上田見宥師により、十徳の該当場所を『勅修御伝』より抽出しています。
◎浄土宗発行の『浄土宗聖典 第六巻』のページ(P)・行(L)を参考に載せました。(編集者)

④高僧帰依の徳(3)

この項は、[高僧帰依の徳]から、関連したものを紹介します
(前回に、紹介した)静嚴法印にかかわる話として、静嚴法印の弟子が、法然上人を訪ねて、 天台宗の法門について質問したことが、5巻6段に載っているので紹介しておきたい。
(法然)上人は、その質問について、詳しく教えられた。
その弟子が後日、(法然)上人のことを
「老耄の上、念仏に暇なくして、聖教を見ざる由は申されしかど、文理の明らかなること、 当時の勧学に超え給へり。徒人にあらず」と驚嘆したという。
のちに「(法然)上人語りて曰く
《われ聖教を見ざる日なし。木曽の冠者、花洛に乱入のときただ一日聖教を見ざりき》と。
後には、念仏の暇を惜しみて、称名の外は他事なかりけり。
後学、よろしくその跡を学ぶべきにや」と。

P53・L4~L10

→有名な御法語の出典はここです。(上田師談)

  • 『勅修御伝』13巻5段
    ①法然上人の師匠の 慈眼房叡空上人(12世紀、生没不詳)が、立場を替えて弟子の礼をとられた逸話が示されている。
    ②また昔、台密の師匠であった相模国の 重宴阿闍梨(どなたか、生没を教えてください)も、 法然上人の弟子となって円頓戒を受けた。
    ③また台密の三部潅頂を授けてくれた丹後の 迎接房(どなたか、生没を教えてください)も、 法然上人の弟子となって顕宗の法門と浄土の法門を習い、往生を遂げたという。
    ④更には、当時の西塔の院主であった 円長僧都(どなたか、生没を教えてください)も、
    ⑤最初の師匠であった 観覚得業(生没不詳)も弟子となった。

    『浄土宗聖典』第六巻(以下略)P141・L12~P143・L9

    編集者(注) この段(13巻5段)には、そうそうたる人物が、法然上人の弟子になったことに、割かれています。 叡空上人の逸話は長く、他は事例のように挙げています。
    木枕や箒で、叡空上人から乱暴されている法然上人の姿も描かれています。
    ぜひ、お読みください。
    ただ、P143~の釈文の方が読み易いと思います。(編集者)



このページのトップへ▲
  浄土宗布教師会
〒605-0062 京都市東山区林下町400-8 浄土宗宗務庁 教学局内
TEL075-525-2200 FAX:075-531-5105