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4.高僧帰依の徳(11)

上田見宥師の教化資料を掲載していきます

◎上田見宥師により、十徳の該当場所を『勅修御伝』より抽出しています。
◎浄土宗発行の『浄土宗聖典 第六巻』のページ(P)・行(L)を参考に載せました。(編集者)

④高僧帰依の徳(11)

編集者 前回[敬蓮社]の名が出てきました。目立つ人なので、少し触れておきます。

  • この敬蓮社[(1203~1285)入阿とも入西ともいう]は、始め成覚房に、一念義を学んだが、(前回述べられていたように)二祖聖光上人の門弟となり、一宗の要義を相伝。或るとき、同門の修阿と[三心の体]について論争となり、修阿の門弟である満願社が入阿に与(くみ)したので、一つの騒動となった→有名な話である。(上田師)

    参考のために『浄土宗大辞典』の記事を掲げておきます。
     

    にゅうあ【入阿1199~1281(正治1-弘安4〈一説弘安8〉)敬蓮社入西。鎮西弁長の門人。
     長州(山口県)の人。はじめ成覚房について一念義を学び、12歳のとき1214年(健保2)法然上人の三回忌に真如堂で聖覚の説法を聞き、たちまち一念義をすてて鎮西に走り弁長の門弟となった。28年(安貞2)肥後(熊本県)の往生院で行われた第一、第二授手印結社別時念仏会に参加し、聖護とともに師に常随給仕に嗣法した。弁長滅後、かれの伝記を禄した。鎮西の門弟修阿と三心体について論じ合ったところ、修阿の弟子満願社は、入阿の説に加担し弁長の証明を得て修阿の義の誤りであることを披露した。面目を失った修阿の訴えにより弁長は満願社の行為をにくみ破門させた。入阿は、弁長滅後、36歳ごろ鎌倉に入り大いに教化につとめた。著書には『観経顕意鈔』『行義分要略記』などがある。(10・2寂)


    編集者
    どのような[三心体]における意見の違いが会ったのでしょうね。そこが知りたいところ  です。『浄土鎮流祖傳』(正大、1515・6に正徳3年刊のものがあるようです)に、紹介されているかも知れませんね。判ったひとは、浄土宗布教師会HPの[談話室]で、ご紹介ください。



  • 『勅修御伝』(以下略)17巻6段
    聖覚法印(1167~1235)

    夢の中で明円を教化した(聖覚)法印(省略 本文参照)

    『浄土宗聖典 第六巻』(以下略)P206・L10~P208・L14

    編集者
    往生後の聖覚法印が、明円を教化するはなしです。その後聖覚法印の墓に毎年詣でるのですが、明円の子の明心・孫の明観も同じ行動をとります。一読してください。


  • 32巻1段
    聖覚法印(1167~1235)

    17段意外にも聖覚法印の事績があり、32巻に所収の『登山状』がそれである。専修念仏の興隆に憤る山門に対して、他力法門の真意を明かすために、法然上人が聖覚法印に執筆させて送りつけたのが『登山状』である。すばらしい内容と共に、格調の高い美文に、(聖覚)法印の信仰と才能を窺(うかが)う事ができて有り難い。(本文参照)

    P500・L8~

    編集者
    どこまでを『登山状』というのでしょうか?前半は是非もなく美しい文体でおなじみです。



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