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教化資料> 第一章 法然上人の十徳について>④高僧帰依の徳(14)

上田見宥師の教化資料を掲載していきます

◎上田見宥師により、十徳の該当場所を『勅修御伝』より抽出しています。
◎浄土宗発行の『浄土宗聖典 第六巻』のページ(P)・行(L)を参考に載せました。(編集者)

④高僧帰依の徳(14)
  • 俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)(1121~1206)

  • 『勅修御伝』(以下略)14巻4段

    さて、大原に出向していた重源は、このとき一つの念願を起こした。それは、僧俗すべての者が
    亡くなった時、閻魔大王の前で名前を聞かれる。その時〈南無阿弥陀仏〉と答えたら、大王は直ちに
    亡者を極楽浄土へと送らねばならぬであろう。だから、重源は自らを〈南無阿弥陀仏〉と名乗ることにしたのである。他の者にも薦めて、そのように名乗らせたのが、〈阿号〉の始まりである。

    『浄土宗聖典 第六巻』(以下略)P159・L12~L15


  • 編集者
    重源の著作に『南無阿弥陀仏作善(さぜん)集』という自身の事績をしるしたものが、ありますが、この南無阿弥陀仏は、自分の名前なのですね。
    浄土宗では、その後、[阿]だけをとり、璽書(じしょ)を受けたものが[阿号]を名乗ります。時宗では、観阿弥・世阿弥のように、[阿弥号]を名乗ります。([阿弥号]だから、時宗とは、限りませんので、要注意ですが。


  • 30巻5巻

    また、寿永(1182~83)・元暦(1184~85)年間、源平の乱によって命を失ったものは、都と  いわず田舎といわず、数の知れないほど多かった。重源は、無縁の慈悲心をもって、それらの人々の後世を弔う為に、7日間の大念仏会を修したのである。けれども、まだその頃は、お念仏の功徳の勝れていることを知らない人が多く、参集する人も少ないことを嘆いた重源は、人々にお念仏の信仰を薦めるため、建久2年(1191)法然上人を招いて、浄土三部経の講説を願ったのである。まだ工事半ばでの説法であった。南部の高名な学僧や200余人の僧その他、大勢の人々を前に、先ず、三論・法相の奥義を述べ、次いで浄土一宗の要義を説き、末代の凡夫が救われる道は、易行の口称念仏以外にない理(ことわり)を、経説を引いて明らかにされたのである。聞くものはすべて、随喜し、お念仏の信仰を深めたと言われる。

    P476・L9~P477・L7

    ・以上は『勅伝』に依るところであるが、(法然)上人54歳の「大原談義」、59歳のこの「三部経講説」62歳での「逆修説法」、これらの講録がのちに66歳で『選択本願念佛集』を著す資料になっていることは、ほぼ間違いのないところであろうと思われる。


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