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教化資料> 第一章 法然上人の十徳について>⑤選択本願の徳(31)

上田見宥師の教化資料を掲載していきます

◎上田見宥師により、法然上人の十徳を拝聴しています。

⑤選択本願の徳(31)

弥陀化仏の来迎 聞経の善を讃歎せず、唯念仏の行を讃歎したまうの文

引文『観無量壽経』『観経疏』散善義

引文=
同(『観経』)疏にも「唯称仏の劫を述べて聞経のことを論ぜず」と。

編集者(注):
石井教道師が、『選擇集全講』(P483・L4)の中で、「稱名の功力の廣大なことは、雑行(聞経)などとは比較にならぬ」と記されています事は、小気味イイものですね。

私釈段=
「聞経の善はこれ本願にあらず。雑業成るが故に化仏讃歎せず。念仏の行は本願の正業なる故に化仏讃歎す」と。

『浄土宗聖典』第三巻 P158・L13~P159・L6(書き下し文)

編集者(注):
聞経の功徳は、千劫の罪を除く
念仏の功徳は、五百万劫の罪を除く、という差があります。
[その差は何か]という問いに法然上人は、
*罪を重ねてきた人は、それに対する障害が多く、死の苦しみが迫っている。その環境のなかで、教導者が、経を説いても、受け入れる心が散乱しているので罪を除くことは少ない。
*念仏は、シンプルで、散乱した心をまとめ、平静になれる。心を落ち着かせて念仏させるので、思いが深く、多年の罪を除くことが出来る。
また、石井教道師ですが、『選擇集全講』(P486・L2~3)の中で、「他力教の立場からいえば、願非願で區別すべきと思う」との指摘に、わたしは頷(うなづ)いてしまいます。

雑善に約対して念仏を讃歎するの文

引文『観無量壽経』『観経疏』散善義

引文=
『観経』に「もし念仏せん者、まさに知るべし。この人は即ちこれ人中の芬陀利華(ふんだりけ)なり、観世音菩薩、大勢至菩薩その勝友となる。まさに道場に坐し諸仏の家に生まるべし」と。

同第三巻 P159・L9~11(書き下し文)

編集者(注):
『観無量壽経』の終りに書かれていますね。クライマックスです。
[もし念仏をする人がいたら、その人はまさに、人の世の白蓮華です。観音菩薩、勢至菩薩と同等に交わって悟りの場に座り、仏の世界にうまれるでしょう]
『観無量壽経』が、定散二善十六の法を説き終わり、結論の部分です。五重にも用いられる文章です。感動すら、覚えますね。


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