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教化資料> 第一章 法然上人の十徳について>⑤選択本願の徳(33)

上田見宥師の教化資料を掲載していきます

◎上田見宥師により、法然上人の十徳を拝聴しています。

⑤選択本願の徳(33)

雑善に約対して念仏を讃歎するの文

引文『観無量壽経』『観経疏』散善義

上田先生は、善導大師の5項目の説明の内、重要として(3)を取り上げられました。

(善導大師は)五項目にわたって釈をしておられる。その(3)に「よく相続して念佛する人は、甚だ希有なりとし、芬陀利に例える。芬陀利とは、人中の好華・希有華・上上華・妙好華・蔡華であって、念佛する人は、人中の好人・妙好人・上上人・希有人・最勝人なり」と。

『浄土宗聖典』第三巻 P160・L3~L8(書き下し文)

編集者(注):
上田先生は、要約をして記して下さっています。原文と違いますので、ご注意ください。同じ表現が並びますので、この要約のほうが判りやすいと思います。「もし、よく念佛を相続する人は、実に稀(まれ)な人だとし、改めて喩(たと)えるものが、ありません。ですから、芬陀利(ふんだり・白蓮華)を喩えとすること明かします。芬陀利というのは、好華と言い、また希有華と言い、また人の世の上上華と言い、また人の世の妙好華と言います。この華は、言い伝えで、蔡華と言うものです。(このように、同じフレーズが続きますので、上田先生型に倣(なら)います)もし念佛するものなら、人の世の好人・妙好人・上上人・希有人・最勝人です。

私釈段=
『観経』で、定散両善を説きながら、念佛者を芬陀利華に喩えられたのは、念佛の功の余善余行に超えていることを顕す為である、として雑善と対比して詳述。

同 第三巻 P160・L13~P161・L8(書き下し文)

編集者(注):
例によって、問答形式です。

問い「もし、念佛する人がいるならば、大いに知ってもらいたい。この人は・・」と『観無量壽経』に説かれているのは、ただ、念佛者だけに限って讃歎しています。善導さまは、「まことに、他の善行とは比較にならない」と言って、さまざまな善行と比べていますが、なぜ念佛だけを褒(ほ)めるのでしょうか。

答え『観経』では、表に現れませんが、善導さまの比較する意は、明らかです。なぜなら、『観経』には、先だって定善・散善と念佛の行が説かれています。ところが、その中で、念佛だけを芬陀利に喩えます。さまざまな善行に比べないなら、念佛の功徳が、そのほかの善行を超えていることを、明らかにできるのでしょうか。「念佛者は、人の世の好人」とは、悪とは逆に褒めているのです。「人の余の妙好人」は、粗悪とは逆に称賛するのです。「人の世の上上人」とは、下下に対して、讃じています。「人の世の稀有人」は、普通の人に対し、「人の世の最勝人」は、最劣の人に比べ褒めているのです。


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