ほとけさま と

目の前に、ほとけさまの前で跪き、合掌することもなく、物思いに耽る女性がいます。

彼女は、核家族、共働きで3人の子どもを育てる40代の母親。サラリーマンの夫とともに子育てに奮闘する毎日を過ごしていました。
そんな彼女に転機が訪れたのは、平成から令和に元号が変わろうとする頃でした。

 

「先輩から、とある地方の法人の取締役に就かないかと声をかけられている。今の仕事を辞めてそこに行こうと思う。来春頃、家族全員で引っ越そう」
夫の突然の言葉に、彼女は呆気にとられました。
彼女は、夫の話を真摯に聞き、その内容を理解はしましたが、到底受け入れることはできませんでした。

夫は彼女の了解を得ないまま勝手に話を進めました。
「12月に仕事を辞める。子どもたちの学年が変わるタイミングの3月下旬に家族で引っ越す。万全で引っ越せるよう、私は受け入れ準備を兼ねて先に引っ越すから、3カ月くらい単身赴任になる。だから、貴女もどこかのタイミングで仕事を辞めてほしい」
彼女は、夫の話を真摯に聞き、その内容を理解はしましたが、到底受け入れることはできませんでした。

令和2年2月27日、突如、全国全ての小・中・高・特別支援学校について、3月2日から春休みまでを臨時休校とする要請が出されました。
夫婦の子どもたちが通う小学校は2月29日で突如休校となり、友だちに「さようなら」をちゃんと言えないまま転校を余儀なくされました。
彼女は、子どもたちの悲しみや淋しさを一人で引き受け、子どもたちに懸命に寄り添いました。

その後も不測の事態は続きました。夫は単身赴任ですでにおらず、本来学校に行っているはずの子どもが毎日家にいる中で、思うように進まない引越しの準備。新居のリフォーム工事もメーカーの部品が届かないなどで大幅に納期は遅れ、さらに悪いことに、予定していた夫の仕事はキャンセル続き――。

3月下旬、子どもたちの転校手続きを優先するため、結局、満足に引越し準備ができないまま大半の家財を残し、生活するのに必要最低限の荷物だけをまとめて彼女と3人の子どもは夫のもとに引っ越しました。しかし、転校先の学校も休校が続きました。テレビも冷蔵庫もWi-Fiも、夫の仕事もありません。
彼女は、その状況をただただやり過ごすしかありませんでした。取り敢えずの限られたキッチン道具でひたすらに家族のご飯を3食作る毎日。引っ越したばかりでスーパーがどこにあるのかもわかりません。スーパーを探すところからご飯作りがはじまりました。たまには外食をしたいと思っても、それも叶いません。
そんな日々が続く中、キッチンに″あの子“が現れました。

スキレットにオリーブオイルを何年、何十年と、何重にも塗り込んだブラックポットのような輝きを放ち、床だろうが壁だろうが縦横無尽にチョロチョロ動き回る″あの子”。
ひと気を感じると、忍者のごとくサッと隙間に隠れてしまう″あの子”。
電気を消して布団に入ると、自分の目耳鼻口に入ってくるのではないか。そんな想像すら起こさせ、胃の底からすっぱいものをこみ上げさせる、″あの子”が!

「もう、いやぁー!」

彼女は、その動き回る輝きを目にした途端、糸が切れたように叫び、泣き崩れました。
それより前、いや、とうの昔に彼女の我慢は限界に近づきつつありました。その限界値をなんとか延ばしていくことができたのは、子どもたちの無邪気な笑顔があったからに他なりません。しかし、ついに、それを超えてしまったのです。

しばらくすると、彼女は涙を流したまま、無言のまま、しかし、たおやかに立ち上がり、歩き出しました。向かった先は、その動き回るものを一瞬にして永遠の静止に至らしめることのできる夫でもなければ、邪気のない子どもたちのもとでもありませんでした。
彼女は、ほとけさまの前に赴き、跪き、合掌することもなく、ただただ物思いに耽りました。
何を思い、何を語りかけているのか。それは、ほとけさまと彼女にしかわかりません。
夫であろうと、子どもであろうと、そこには入る余地もありませんでした。

ほとけさま と 彼女。

しばしの時が流れました。彼女は、ほとけさまに掌を合わせてから頭を下げて、何事もなかったかのように日常に戻っていきました。生活をする必要最低限の荷物の中に、ほとけさまを忍ばせてきたことで、この家族は救われました。

キッチンから聞こえてくる談笑の声を心に刻みつつ、夫はいま、キーボードを打ち終えようとしています。
外では、セミたちがにぎやかに夏の訪れを告げています。

(2020年7月20日 澤邉紘行 / 石川・極楽寺)