目的のない旅

あぁ、疲れた。すべてを忘れたい――

そんなとき、常々、私は一人で旅に出ていました。
それが些細な1泊2日の旅行だったとしても、もしくは2週間以上に及ぶ海外放浪であっても。とにかく、自分が知らないモノ・場所に触れて、自分のことを知らない人と一期一会の会話を弾ませる。
携帯電話もパソコンも持たず、アナログに目の前の新鮮さを楽しむという行為は、ときに不便で、非効率で。けれど、いつもより五感を活用する時間は、自分がヒトという生き物だという感覚を持てる機会。

旅の最中、脳裏に浮かんでくるのは「何のために生きているのだろう」ということ。

同じ時間に出勤して、締め切りに追われる仕事を抱えて。時々、これは意味があるのかな、と心のなかで疑問に思う会議にも出席し、少しでも生産的な意見を言っているつもりになって。そうして生まれた成果は、自分がいてもいなくても、目まぐるしく移り変わる社会のシステムにはほぼ影響を与えていない――そう気づいたときに覚える虚無感。

今、自分がここでいなくなっても、時間は淡々と進んでいく――

ベトナムを旅していたときに、一度、ふっと恐ろしい考えがよぎりました。全く、唐突にふわりと。もしそうなれば、家族や友人は、少しくらいは悲しんでくれるでしょう。周りはなぜ?なぜ?と、もっともらしい原因を探るでしょう。だけど、なぜそんなことを考えたのか、理由は未だ本人にも分かりません。

記憶の欠片に残っているのは、次の瞬間に聞こえた子どもたちの笑い声。パンをもった無邪気な幼児が、お寺の石の階段を駆け下りてきました。その背後には、優しく見守る家族の姿。――何かに吸い寄せられるように、カメラのシャッターをきる自分がいました。何度も、何度も、無我夢中に。

あれから5年以上が経った今。
社会では、その間にも随分と衝撃的な出来事がありました。自分自身を振り返っても、当時の仕事を辞め、外国でも働き、故郷に戻って会社を経営している……という風に、たくさんの変化を謳歌しています。

何のために生きるのか。もちろん、その答えは見つかっていません。
でも一枚の写真が、見つからなくてもいいんだ、と思えるようにしてくれました。子どもたちはパンを食べ、駆け回り、楽しそうにはしゃいでいる――――あの時撮った写真を見返すたびに、心が温かくなり、その瞬間に出会えて、生きていてよかったと思えるのです。

人生は旅路。旅は、まだ途中です。

(2020年10月6日 山下千朝(僧名:華朝/浄土宗僧侶。Amrita株式会社代表取締役))