10月の虹

10月最初の月曜日は、東雲(しののめ)がほの赤く燃え、秋の風が金木犀(きんもくせい)の香りを運ぶ朝からはじまりました。玄関から出た私は、本堂を背に東の空を眺めながら山門を開け、その向こうにある地蔵堂の鍵を開けました。それから再び山門をくぐり、目の前の本堂に向けて歩みだすと、伽藍(がらん)を彩るような大きな虹が目に飛び込んできました。
本堂上空は、朝焼けを浴びて橙色(だいだいいろ)にたなびく雲の合間から、わずかに空がのぞいています。その雲の下に、薄いけれども虹がアーチを作っています。久しぶりに見た虹でした。

子どもの頃、お天気雨が降ると自転車に乗り、雨と晴れの境目を探しに出かけたものです。そこに立てば、体の半分には雨が当たり、もう半分には陽の光が当たると信じて、青空の方に一生懸命ペダルを漕ぎました。残念ながら、一度もその場所にたどり着いたことはありません。青空の方に進めば雨は弱くなり、いつの間にか止んでしまっています。びしょびしょになりながら、こんなはずではないのにと思っていました。水平線の向こうにかかる虹を眺めながら。

今考えると、無邪気な子どもの遊びです。そして、大人になって気がつきましたが、地上に降るお天気雨には、雨が当たる場所と当たらない場所がはっきりと分かれるのではなく、青空の下に近づけば近づくほど、徐々に雨の降り方は穏やかになり、やがて雨粒は消えてなくなります。晴れと雨を分ける境界線は明確なものではなく、絵の具のにじみのようにぼんやりと曖昧なものです。

このぼんやりとした境界線は人の心の中にもあります。どんな時でもスイッチのオン・オフのように心を切り替えることができたら、生きやすくなることでしょう。しかし、心にはなんとなくやる気が出ないということもあれば、徐々に集中力が増していくこともあります。私たちの胸のうちには、相反する気持ちが複雑に入り混じっています。

愛しい人を思い出して悲しくなることも、そんな心のグラデーションかもしれません。そのグラデーションは様々な気持ちが入り混じった、心にかかる美しい虹です。愛おしくて寂しくて、思い出して笑って、涙がこぼれおちる。誰かに対する思いは、ひどく複雑に、けれども美しく心の虹を織りなすものです。

誰かを思い出した時に心にかかる虹。その虹は自分ひとりで感じるものではありません。心に思い描いたその人もまた、あなたといっしょにその虹を感じています。7色のアーチがふたりを結びつけ、同じ思いを共有しています。誰かを思い出す時は、ひとりぼっちではなく、その人といっしょ。

10月の虹は、何か暖かな感触を残して、いつのまにか消えていましたが、心の虹は思い出せばいつも鮮やかに現れます。あの人といっしょに。

(2020年10月26日 石田一裕 / 神奈川・光明寺 )