思い出は現在進行形

自粛生活の要請は徐々に緩和されてはおりますが、当面のスケジュールはほとんどがキャンセル。毎年、開催に情熱を注いできた地元仏教会のイベントも中止せざるを得なくなりました。なかなか先行きがはっきり見えないなか、どこに気持ちを向ければいいのやら、自分で自分を見失いそうになってしまいます。

もう何年前になるでしょう。ある年の初夏、住んでいる部屋の西側の窓の外に緑のカーテンを育ててみることにしたのです。友人との、たわいもないメールでのやり取りがきっかけでした。

「西日(陽)がきつくってさ。今からでも緑のカーテン、間に合うかな」と、私。
「いいんじゃない。朝顔でも植えるのかな。楽しみだね。花が咲いたら写メしてよ」 と、友人。

日除けにすだれやよしずを用いるお宅も多いですが、軒先から園芸用のネットを張り、朝顔やらゴーヤやら、蔓(つた)になって伸び大きな葉を茂らす植物を這(は)わせて日除けにするお宅もよく見かけます。「緑のカーテン」です。私はすだれ派だったのですが、ご近所界隈(かいわい)で目にする見事な緑のカーテンもまた、私にとって夏の楽しみでした。

遠方に住んでいたその友人は当時、重い病との闘いのさなかにあり、週に1回程度、メールでご機嫌をうかがっていたのです。その日、私のほうから緑のカーテンのことに触れたのはあくまでも季節の話題のつもりでした。でも、「楽しみだね」「写メしてよ」との返信。それで闘病の励みになるなら、いや何よりも、これを嘘にしてはいけないと、そういう思いで挑戦してみることにしたのです。

窓の外を覆うように園芸用のネットを張り、その下にプランターを置いて何種類か朝顔の種を蒔いてみました。朝夕に水やりをしながら、いつ土の中から芽が出るのか、毎日、プランターを覗き込んでいました。そして、ようやく芽が出た時の嬉しさといったら! 思わず、家の中にいた家族を大きな声で呼び出し、いっしょに覗き込みました。こうしたひと時も、友人からの贈りもののように思えました。

新芽は間もなく双葉となり、茎は伸び、勢いよくネットを這い上がっていきました。葉が重なり合う見事な緑のカーテンになるにはもっとたくさんの朝顔が必要でしたが、ある朝、ついに一輪の真っ白な花が咲きました。早速、友人に写メを送信。「楽しみだね」「写メしてよ」と返信してくれたことなど忘れていたようでしたが、とても喜んでくれました。それから毎朝、さまざまな色の花を誇らしげに咲かせてくれた朝顔。毎日、起きるのが楽しみとなりました。

秋になり、たくさんの種が残りました。翌年、その種で再び緑のカーテンを育て、友人に朝顔の花を写メして送ってみました。友人の闘病はまだ続いていましたが、私たちはそのような形でつながり続けていたのです。しかし……。その年の秋、友人は極楽浄土の人となりました。まだまだ働き盛りでした。朝顔の種が、友人を思い出す縁(よすが)となりました。

それから毎年、緑のカーテンに挑戦しています。今年も挑戦します。もちろん、思い出を大切にしたいから。でも、それだけじゃなく、友人とのつながりが今なお、私という人間を形作っている、そう思うからです。

誰にでも大切な思い出というものがあるはずです。先行きの見えない今だからこそ、その思い出を現在進行形にしてみよう、そんなふうに思うのです。自分自身を見失わないために。

(2020年6月10日 袖山榮輝 / 長野・十念寺)

(Illustration:さいとうかこみ)