幻の掲載日

昨年の師走の入り、本コーナーの執筆を依頼するメールが送られてきました。まず、目に飛び込んできたのが〆切、そして掲載の日付です。

「掲載日:2021年1月17日(月)」

胸がチクンとします。ああ、この日が近づいてきたのか、と。しばらく、その日付を見つめていると、懐かしい記憶が心の奥からしみ出てきました。
1995年1月、わたしは中学2年生でした。青森県の急速に過疎が進行しつつある田舎町で育ったのですが、通っていた中学校で数学の担当だったF先生は、北国には珍しく神戸の出身でした。東北訛りの強い津軽地方の漁師町で、コテコテの関西弁を操るF先生の軽妙なトークはなんとも不釣り合いな感じがして、教室内に不思議な空気感が醸成されていたことを覚えています。さて、そんな折の、阪神淡路大震災…。
当然、しばらくの間、数学の授業は全休です。久しぶりに再開した授業では、もちろん数学の教材なんかそっちのけでF先生による報告会になりました。生徒はみな固唾を飲んで、先生の声に耳を傾けます。
ところが、F先生はいつもと変わらない軽快な調子で、自身が実際に見聞してきた震災の様子を語り始めました。神戸のご実家には、父と姉が住んでいて、もちろん別々の部屋で寝ていたのですが、早朝に震災があって、その衝撃で自宅が一瞬にしてひしゃげてしまい、気づいたらなんと父と姉が隣同士になっていたのだ、と。地震の恐るべきパワーを、まざまざと思い知らされる驚愕のエピソードでした。幸いにも家族には大きなけがもなく無事だったようで、引き続き語られるF先生の話を、頷き、驚き、時に笑いを交えながら聞き入りました。
自分自身、どうしてこの場面を鮮明に覚えているのか、よく分かりません。それでも、阪神淡路大震災を思い返すときには、必ずといってよいほど甦ってくるリアルな記憶です。20年前、大学生の時に初めて神戸の街に降り立ったときも、この記憶が共にありました(写真は2001年頃、大学の地理学実習の授業にて、震災復興の街として建設されたHAT神戸のなぎさ小学校付近を訪れたときのものです)。

こんなとりとめのない記憶とともに、『その街のこども』という阪神淡路大震災15年特集として作られたNHKドラマの劇場版を、映画館で鑑賞したことを思い出しました。上映日を確かめてみると、東日本大震災のわずか2カ月ほど前だったようです。
その映画のなかでひときわ印象的なシーンがあります。10数年ぶりに神戸を訪ねて偶然出会った主人公とヒロインは、双方とも震災時には神戸の街に居住していたけれども、家族に直接的な被害はなく、その後引っ越して一度もその地を訪れることもないままで、「被災者」と公言するのも憚(はばか)られるような経過をたどっていたという共通点がありました。神戸市内の居酒屋で互いの震災体験をポツポツと語り合うのですが、どうにも会話がちぐはぐにすれ違うなか、うっかり終電を逃してしまい、神戸の街を一晩中ひたすら歩く羽目になります。道中、二人は10分ずつ互いの荷物を持ち合うというルールを決めて、代わり番こにその荷物を背負いながら少しずつ前進してゆきますが、そこで繰り出される会話の応酬から、実のところ震災によって深く傷ついていたその痕跡が徐々に露わになってゆきます。
ここでの「荷物を持ち合う」というシーンは、お互いが長年にわたって押し込めてきた震災にまつわる負の感情を、たとえ一時的であったとしても肩代わりしてあげるという演出になっていて、荷物を渡した側の方がほんの少し身軽になって、これまで誰にも言うことができなかった心情を吐露してゆきます。境遇がよく似た写し鏡のような他者を介して、ようやく自身が「被災者」であることを自認できたのです。交わされる会話そのものよりも、むしろ荷物の持ち合いに象徴される非言語のやり取りにこそ、「誰かの想いを受け止める」ということの困難さと共に、不器用ながらもどうにかその距離を縮めようとする小さな希望が内包されているように感じられました。

今あらためて、冒頭のF先生のエピソードを振り返ってみると、わたし自身もいつの間にか当時の先生と同じくらいの年代になっています。もし自分が先生の立場だったら、どんな風に生徒に語りかけていたのでしょうか、いやでも考え及ぶことになります。そして、よくよく思い出せば、F先生は明らかに普段以上にオーバーリアクションな身振り手振りで、高揚感に満ちたテンションが如実に表情にあらわれていました。実はちょっと無理をしていたのかもしれません。もちろん、神戸には家族だけではなく、たくさんの友人・知人がいたはずですから、生徒には話せない辛い話題だってあったのでしょう。
あの頃は思いを馳せることができなかったことが、時を経て、自分自身も苦い経験を加えたことで、いくらか想像できるようになりました。F先生は「少しだけ肩を貸してほしい」、そんな気持ちを無意識にどこかへしのばせながら話していたのではないかと思います。神戸の出身でありながら、そこに居合わせることができなかったという小さな虚無感を抱えて、まるで異国のような雪国で、震災当地からの生の声を届けるべく、語り部のような思いで孤軍奮闘してくださっていたのでしょう。そうして秘密裏に発せられていた非言語のSOSサインに気づくまで、実に26年が経っていました。届いてはいたけれど、受け止め切れなくて、だからこそもやもや感を抱えたままで記憶に焼き付いていたのかもしれません。

冒頭の「2021年1月17日(月)」は、実は「1月18日(月)」が正解で、実際にはやってくることのない虚空のような非実体の日付です。うっかり校閲をくぐり抜けて自分のもとに伝達されてきた幻の掲載日は、阪神淡路大震災のこと、そしてF先生の思いを、大人になってあらためて噛みしめ直すように促すシグナルだったような気がしています。

2021年1月17日 合掌

(2021年1月18日 工藤量導 / 青森・本覚寺)