裏通りの祈り

ある日の昼下がり、銀行か郵便局で用を済ませた帰りのことでした。私が住職をしている寺の裏通りを歩いていると、数十メートルほど先でしょうか、ちょうど寺の真裏にある駐車場の辺りで、一人のご婦人が道路脇の側溝を覗き込んでいるのに気付きました。ただ少し様子が奇妙でした。身体が側溝に相対するように背筋を伸ばして立ち止まり、頭だけを下げて、しばらくそのまま静止しているのです。

「確か、そのあたりの側溝には蓋がないはず。側溝に何かいるのを見つけたのだろうか。だったら、立ったままじゃなくて、しゃがみ込んで覗くのではないだろうか」とそんなことを考えながら近付くうちに、その婦人が近所でご商売を営んでいるお檀家の奥さまであることに気付きました。顔なじみの、ご高齢の奥さまです。駆け寄ってご挨拶をして「何を見ているのですか」と尋ねてみようかと思いましたが、ちょうどそのタイミングで、まるで何事もなかったかのように奥さまは静かに頭を上げ立ち去っていきました。

たまに雨水が流れ、ひび割れたコンクリートの隙間に雑草が根を張り、近所の野良猫たちが抜け道にしているような、街の中の何の変哲もない側溝です。奥さまは、そのどこが気になったのでしょう。ともあれ寺の敷地の真裏ですから状況を確認しようと、奥さまが立ち止まっていた場所に行き側溝を覗いてみました。特段、何もありませんでした。しゃがみ込んで、しげしげと左右を見渡してみましたが、やはり何もありません。私は「いったい、何だったのだろう」と思いながら腰を上げました。その時、私ははたと気が付きました。奥さまは側溝を覗いていたのではなかったのです。

立ち上がると目の前には寺の駐車場があります。その向こうに寺の塀が見えます。その塀の向こうに墓地があります。背筋を伸ばして立ち止まっていた奥さまの視線のちょうどその先には、奥さまが嫁いだお檀家のお墓があります。塀に隠れていますが、奥さまは、そこに向かって頭(こうべ)を垂れていらっしゃったのです。奥さまが何を思い、何を祈っていたのか。それはわかりませんが、きっとそこを通るたびに、当たり前のように頭を下げておられるのかもしれません。それほどまでに自然なふるまいでした。

はじめは奇妙に思えた奥さまの姿でしたが、積み重ねた人生のなかで自然と身についた祈りの姿に違いありません。そうした姿が、裏通りのような“普段着の街の風景”に溶け込むように私も年を重ねたい。立ち去る奥さまの後姿を思い出しながら、そう思いました。

(2021年2月8日 袖山榮輝 / 長野・十念寺)