自分とは、自分らしさとは……

みんなが同じようにできることが美徳という戦後の昭和から、社会が豊かになるにつれ、個性が重んじられる風潮になったと感じています。自分らしさ、という言葉を聞く機会も多くなりました。人には得意不得意があり、得意なところを伸ばしながらのびのびと生きてゆけることが望ましい反面、「自分とは」という漠然とした価値観に苦しむ人も増えてきました。

子供のうちは、「サッカー選手」「ケーキ屋さん」などと夢を持ちますが、世の中における自分のレベルやその職業に就くまでの過程などを知ると、興味を失い、あきらめにつながり、だんだんと「自分とは」という迷子に陥ってゆきます。ましてやインターネットの発達した現代では、気になることがあったら検索すれば世界中の情報が手に入りますので、「わざわざ私がやらなくてもいいか」という思いにも陥りやすいといわれています。「ユーチューバーになりたい」という子が多くなるのも、楽しそうに仕事をしている大人が周囲にいないからではないかと感じることもあります。

社会に出てからも趣味や友人関係でどうにか公私のバランスを取って生活していても、社会の状況や家族構成の変化によりその生活が難しくなると、どんどん自分自身が見えなくなってくることを実感し、「自分」というものへの脆さもひしひしと感じます。

自分とはこれまで出会ってきたさまざまな存在との関わりの結果だ、と書いてあるお経があります。産まれた瞬間から確たるものがあるわけではなく、出会う人や情報、多くの環境の中から、自然と身についたり、選んだりして一人の人間の個性が出来上がるということです。ある場面に出会った時どう対応するか、普段どんな服を着るか、好む音楽や仕事の選び方まで、自分らしさとはこれまでの出会いと取捨の総体なのです。

そうして身に着けてきた自分らしさは、社会の状況や家族構成の変化、転職など、自分が変化を求められる場面においては武器にもなり、弱さにもなります。これまでできていたことができなくなったストレスにより、自分にも周りにも優しくなれない心境もうまれます。前に進める新たな要素を探し続けることも大切ですし、少し後ろに下がって、何が好きか、何が苦手かに立ち戻ることも必要かもしれません。

こうして原稿を書きながら私も、旅行に行きたいなと、毎日そればかりを考え、閉塞感を強めているような気持になることがあります。日常から解放され自由を感じていた自分、大きな世界に助けられていたことに気付き、自分が小さく思えます。

つらさの中にいるときには、自分がつらい事に気づく余裕を持てないもので、抜け出してから「私ってつらかったんだなあ」と感じることもあるでしょう。社会全体がつらく我慢をしている期間、心の健康にも敏感でいたいと強く思います。

(2021年2月24日 山崎絵加 / 東京・光源寺 副住職)