悪魔よりもタチが悪い

大学院で共に学び、いまもずっと一緒に活動している後輩から、「もう、お願いだから動かないでください!」と、よく怒られるわたし。長くアルバイトなどを続けてきたからか、はたまた、一時期、旅館で居候させてもらっていたことに起因するのか、どうしても雑務を思いつくと、すぐに身体が動いてしまいます。後輩からすると、そんな雑務を先輩にやらせるわけにはいかないと、大慌てで動かねばならぬので、「いいから、じっとしていてください!」となるようです。それでも、なかなかじっとできないわたしは、ハツカネズミのように動きまわり、ついには、「仏教では『不偸盗戒』といって、盗んではならないと教えているのだから、後輩の仕事まで盗まないでください!!」と怒られてしまう始末。

目についた雑務を行うこと自体は悪いことではないでしょう。でも、自分の行動の結果が、自分の意図と異なる方向に作用することもよく考えなくてはなりません。クセとはいえ、もう少し周囲に配慮して、気がついた仕事を分配したり、お願いしたりすればよいのですが………。どうやらわたしの心の奥底には、他人に任せず自分でやった方が、自分の思い通りに事を進められるという気持ちが潜んでいるようです。後輩に怒られるのは、そんな未熟な自分の課題に気づかされる大切な機会だったのかもしれません。

作家の遠藤周作さんは、世の中には「悪魔」よりもタチが悪い「善魔」という、表面上はやさしく、善意でボランティアなどに励むのだけれども、実際には、自分の行いは正しいのだからと、周囲の迷惑を考えないで行動する者がいるといいます。時に善魔は、自分の正しさを武器に、自分の意に添わぬ者を排除してしまう、とても怖い存在でもあります。この善魔についての記事をはじめて目にしたとき、まさしくわたしこそ善魔に違いないと思ったのでした。

みなさんには、自分が正しいと思っていることで心がいっぱいになるとき、周囲の人の気持ちに無関心になったり、他人の気持ちを知っていても自分の正しさの前には価値を認めなかったり、無視してしまったことはありませんか? 残念ながら、わたしは身に覚えがあります。そんな時は、傲慢な正しさに身を包んだ「善魔」が、わたしの心の主導権をにぎっていました。

善魔は、自分の正しさ以外の意見を聞こえなくする力もあります。だから、いくら周囲の人が重要な意見を言っていても、心に届きません。どんなに反対をされても意に介さず、自分の意見を押し通そうとします。こうなれば、必然的に一方的な攻撃で相手を傷つけたり、争ったりする結果を生じてしまいます。わたしは、これまで何度も善魔に心の主導権をゆずり、偉そうに自分の意見を周囲に押し付けたことがあります。そして、「この人たちは、どうしてこんなこともわからないのだろう」と、上から目線で物事を考えていたように思います。その時のわたしの顔は、さぞ醜く、恐ろしかったことでしょう。

善魔の本当に恐ろしいところは、自分を善良な人間だと信じて疑っていない点です。案外、本当の「魔」というものは、親しみやすい顔をして、善意で物事を行っているものなのかもしれません。「わたしは、こんなにも周囲の人のことや社会の人々のことを考えているのです。そんなわたしの行動や言動が理解できない人は、本当に低俗で困ったものです」などと、自分が正しく、上から目線で他を間違ったものと決めつけてしまいそうなときには、いま一度、自分に本当に間違いはないかを振り返り、相手の言葉の背景にどんな思いがあるのかに想像を働かせることが大切なのでしょう。 他人に仕事を任せられなくて後輩から怒られるたびに、他人を信用せず、自分の思い通りに事を進めたいと考えている傲慢な存在が、自分の中にもいることを忘れてはいけないと思うのです。

(2021年9月27日 吉水岳彦 / 東京・光照院)