雑談のチカラ

いつもの年とはまったく違う慌ただしさの新年度が始まって2か月あまり。今、私たちは誰もがみな、予期していた未来とは異なる時間を過ごしています。

あるはずだった学校がなく、あるはずだった通勤がなく、あるはずだった休日の外出がなくなりました。たんに、あるはずだったものがなくなっただけではありません。あるはずだった学校がなくなった結果、子どもだけで留守番させておくわけにもいかず仕事に支障が出たり、あるはずだった通勤がなくなった結果、テレワークの環境整備に追われたり、あるはずだった休日の外出がなくなった結果、リフレッシュができずストレスを抱えてしまったり…。

想定していなかった対応に追われる日々が続くと、これまでの何の変哲もなかった日常が、実に有り難い日々だったのだと痛感いたします。過日発表された「新しい生活様式」で、今後は、働き方や暮らし方にもずいぶん変化が出てきそうです。

最近、私が戸惑いを覚えているのが雑談の減少です。テレワークの推奨、近距離での会話の敬遠など、昨今の事情で、「ついでの話」がほとんどできなくなりました。これまで、ちょっと行ったついで、ちょっと通ったついでに済ませていた用事も、メールを送るか、相手に予定を聞いてオンラインミーティングを設定するかしなければ情報交換することができません。雑談などはなおさらです。

私は『相棒』という刑事ドラマが好きなのですが、山西惇演じる角田課長(「よっ、ヒマか?」と杉下警部に絡んでくるあの人です)的なコミュニケーションはもはや不可能に近くなりました。雑談は不要不急の代名詞と思われがちですが、ドラマの中での角田課長はしばしば重要な助言を与えてくれます。雑談に秘められたチカラはそれだけではありません、何気ない会話の中で、私たちは実に多くの情報をつかんでいます。他愛もない会話から相手の気持ちの浮き沈みを感じたり、とりとめもない情報から別の業務につながるヒントを得たり、くだらない冗談が仕事で緊張した心を和らげたりと、単なる情報伝達に留まらない役割があると私は思っています。

しかし、雑談を許すのも、雑談の中にそれらを感じ取ることができたのも、私たちの心にゆとりや遊びがあるからです。今や、移動時間もなくなり、クリック一つでオンライン会議を渡り歩くことができてしまいます。予期せぬ未来を生きているのに、時間通り、計画通りの生活を送ろうとしています。これではなんだかかえって窮屈です。

新しい生活様式にともなって、私たちのライフスタイルは変わるかもしれません。雑談は別の形になるのかもしれませんが、それを受け止められる心のゆとりは忘れずに持っていたいものです。
ここまで、まったくの雑談にお付き合いくださりありがとうございました。

(高瀨顕功/静岡・法源寺 ひとさじの会代表)