自分も世の中も変化する

満員電車に乗り、分刻みで会議に出てへとへとで飲み会をしていたのに、突然全部がなくなり、これまで以上に厳しい環境で働くことになった方も多いし、患者さんをかかえながらも家族のことを思い、断腸の思いで在宅して介護や育児を続け、家族を守っている医療者の方もいます。

仕事を失う方も、従業員に仕事を失わせたくないと必死な方も多く、困った方を助けに奔走する方も、SOSを出しきれない方もいます。

いじめでつらくて、もう一日でも学校を休んだら留年になると追い詰められていたら突然学校がなくなって茫然としつつ安堵したり、引きこもりであることに罪悪感を覚えていたけれど、家から出ないことが社会に認められたようで少しだけ息が楽にできるようになったりという方もいます。

誰にも、これまでと全く同じわけにはいかないというように社会が動いていますし、「これまで通り」にしがみつくように見える人に怒りが向きがちにもなります。
時代は常に少しずつ変わっているものの、わずか数か月のうちに、当たり前だと思っていたことが変わってしまう時流が流れ、こんなにも急に全世界が変化を求められることも稀なことだと感じ、お釈迦さまが説いたさとりの源泉ともいえる、「万物は流転する」を、とても強く感じます。

自分も世の中も変化するもの、そう分かっていても、努力して積み重ねてきたものが大きいほど、変わることは難しくなります。同時に、つらい人ほど変化を求めるものでもあり、変われないことにも苦しみます。
ここで、変化を求められる「自分自身」とは何かを考えてみましょう。私たちは「自分は自分」だと思っています、でも、生まれたときから自分だったでしょうか?親、友達、先生、習い事、仕事、近所、恋人、ペット……身に起きたすべての事柄や人との関係の中で、意図的に、または無意識に選び取った結果が現在の「自分」であり、未来にはまた変わるであろう途上の、暫定的な「自分」です。良いことも悪いことも、関わりの総体を「ご縁」とも呼びます。

ともすると「ご縁」にがんじがらめになってしまう私たちが、つらくなったり、迷ったら、「これは好ましい、これは嫌」の原始的な感覚に戻ると、そこに「自分」の取捨の源泉があります。
友達と会えずうつうつとなる自分がいたら、友達は自分にとって大切な存在なのだと覚えておきましょう。家にいることが心地よくて、外に出て頑張らなければいけないつらさを感じるなら、無理をしなくていい場面のバロメーターにしましょう。

これから先は、政府や会社、学校などの方針に加え、どのように過ごすかを自分で判断してゆく時代になります。
せっかく訪れている変化のタイミングですから、自分もみんなも、自分に素直なことに寛容にいられるきっかけになるよう、少しずつでも楽になるよう、願ってやみません。

(2020年06月15日 山崎絵加 東京・光源寺/自死・自殺に向き合う僧侶の会 共同代表)