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今月の言葉:2017年11月

はらはらと無常を告げる落ち葉かな

As autumn leaves must fall, so nothing lasts forever.

 木々も葉を落とし、暮れゆく秋を感じる季節となりました。
 私が住職を務める寺は自然豊かな城下町にあり、江戸時代から人形づくりが盛んに行われてきました。毎年、11月3日の文化の日、地元の様々な宗派でつくる仏教会の僧侶は、人形協同組合の方々と市内の城址公園にある人形塚の前で「人形供養祭」を行っており、近隣の県からも大勢の方が供養品を持参されます。
 親が我が子の健やかな成長を願い、孫の成長を楽しみにする祖父母が愛情をこめ、人形はそれぞれの家庭に迎えられます。そして、人と同じように大切にされ続けてきた人形は秋晴れの空の下、盛大な供養を受け、いよいよその最後の役目を果たします。その佇まいからは、すっかり古くなってしまったけれどただの廃棄物として捨てるにはしのびない、という人々の気持ちや、それぞれの家庭ごとの時の流れなどを感じることができます。
 昨年の供養祭での読経中、赤く染まった桜の葉がはらはらと、私の膝の上に落ちてきました。まるで空から「散華」が舞い降りてきたようでした。
 この世で目にするすべては変化してやむことなく、一瞬たりとも同一のままでいることはありえません。これを仏教では「無常」といいます。無常であるからこそ、赤ちゃんはハイハイをはじめ、つかまり立ちをし、ついに歩きはじめるのです。
 「這えば立て立てば歩めの親心 我が身に積もる老いも忘れて」という短歌があります。子どもに成長してほしいと願う親の気持ちをかなえてくれるのも、この世が無常であるからですね。かく言う私も、子どもたちが幼いときは常々、「早く成長してくれれば」と思っていたものでした。そして時が流れ、子育ても一段落した今、私はいつの間にか年を重ねていたのでした。
 法然上人は「ときに世が無常であることを思い、人生がそれほど長くないことを知りなさい」とおっしゃっています。たしかに人生は長いようで振り返ると一瞬のようでもあります。
 すっかり葉を落とし、枯れたかのように見える木々にも、すでに小さな芽が宿っています。それは余計なものを払い落として寒さに備え、次の開花まで耐え忍んでいるかのようです。冬支度とともに、身の回りの片付けを始めるのにちょうどいい季節となりました。いつかは必ず訪れる無常の風に備えるよう、日々「南無阿弥陀仏」、お念仏をおとなえしてまいりましょう。

(埼玉県さいたま市 願生寺 齊藤実朗)

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