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今月の言葉:2018年06月

人柄は その一言に あらわれる

Your every word reveals what you are.

 昨年11月のこと。私の住む名古屋あたりでは夕方5時で真っ暗になる。その時刻を少し過ぎたころ、自転車で帰宅した妻が自坊の山門にさしかかった時、事件は起きた。
 うちのお寺周辺の道はかなり狭く、車では通り抜けられないところも何カ所かある。だから、日ごろから門前や門の脇の余地で切り返しをする車は珍しくなく、その日も1台の車が切り返しをしていた。
 そこに妻が通りかかった。あたりは暗いので、ドライバーに自分は気づかれていないのではないかと思い、妻は自転車をとめ、様子をうかがっていた。すると、車の運転席の窓がスーと開いて、「早く行けよ!」と男性の高圧的な声が響いた。
 妻にしてみれば、寺の土地を勝手に利用している人から、いきなり怒鳴られる覚えはない。恐怖と落胆で、仕方なく無言のまま自転車を手で押しながら、山門をくぐり、自宅へ戻ってきた。
 夕飯を食べながら、妻は今さっきあった出来事を私に報告した。妻がドライバーの顔を見ていないこと、妻が山門から寺へ入っていったことを相手は多分見ていた、などなど。
 もしかすると「よりによって利用させてもらった土地の居住者に怒鳴ってしまったのか」「自分の顔を見られたのではないか」と、かのドライバーも怒鳴ったことを後悔しているかもしれない。ご近所さんや檀家さんであれば、よりいっそうだ。妻の顔を見るたびに怯えなければならないだろう。
 「お先にどうぞ」と言っておけばこんなことにはならなかったのに、と思う。「お先にどうぞ」も「早く行けよ!」も、語句の意味としては譲っていることにはかわりはないのだが、ニュアンスは決定的に異なる。ドライバー特有の〝車を運転している〟という優越感に引きずられて態度が大きくなってしまったのだろうか。
 法然上人は「驕慢きょうまんの心だに起こりぬれば、心行しんぎょう必ずあやまる故に、たちどころに阿弥陀仏のがんに背そむきぬる者にて、弥陀も諸仏も護念ごねんたまわず。さるままには悪鬼あっきのためにも悩まさるるなり」と仰せられた。このお言葉は、お念仏の功徳くどくを自分の努力の結果だと勘違いする自力念仏をいましめるために申されたものではあるが、常日ごろのおのれの態度にも通じるであろう。そう、人柄はその一言にあらわれる。
 「早く行けよ!」と怒鳴った方は、妻の記憶の中ではずっと「礼儀知らずの高圧的な人」のままなのである。
(名古屋市 誓願寺 鈴木正見)

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