今月の言葉:2018年07月
倶会一処
We will all surely meet again in the Pure Land

歌手の森山良子さんが作詞された『涙そうそう』という曲をご存じですか? 若くして亡くなった兄に「また会いたい」という思いを込めながら作詞されたそうです。
皆さんも先立たれた大切な方に「また会いたい」そんな願いを抱いたことはありませんか? 私たち浄土宗には、「また会いたい」という願いに寄り添う「俱会一処」という言葉があります。墓石にも刻まれることがあるこの言葉は、浄土宗で拠りどころとするお経の一つ『阿弥陀経』に説かれています。
「たとえこの世で大切な方との別れを迎えようとも、南無阿弥陀仏とお念仏をおとなえする者どうしは、阿弥陀さまのお迎えをいただき、必ず俱に一つの処、すなわち西方極楽浄土でまたお会いすることができるのです」という教えです。亡き方との再会を阿弥陀さまが叶えてくださるのです。無常の世だからこそ、大切な方との再会を約束してもらえるならば、これほど心強いものはありません。
私のお寺のお檀家さまに、お盆と春・秋のお彼岸の3度、ご自宅にお参りに伺っている方がいます。ある年のお参りのこと、お勤めが終わり、談笑する中で、阿弥陀さまのことやお念仏のことをお伝えすると突然、奥さまが涙を流され、その理由を話してくださいました。
「主人が倒れた時、私はどんなことをしてでも治してほしい。そう医師に伝えたの。すると主人は全身にチューブを通されてしまった。喉にも通され、最期は話すことも出来なくなってしまったの。きっと子どもや孫にいろんな言葉を残してあげたかったと思う。今になってみれば筆談でもすればよかったのだけれど、当時の私にはそんな余裕もなくて…。その主人にまた会える、また話ができると思うと嬉しいわ」
そう言って最後にまた手を合わせ、一緒にお念仏をとなえてくださいました。
「また会いたい」と私たちが抱く願いに寄り添ってくださる阿弥陀さまがいらっしゃることの頼もしさ、嬉しさを改めて実感した瞬間でした。
まもなくお盆を迎える地域の方もあることでしょう。お仏壇やお墓に向かってお念仏をおとなえする機会も増えることと思います。どうか習慣やしきたりとしてただとなえるお念仏ではなく、やがてはご先祖さまや、先立たれた大切な方と極楽浄土で「また会える」と楽しみを胸に、おとなえください。
(静岡県島田市 大善寺 山田雅宣)