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今月の言葉:2019年02月

水に源あり 樹に根あり

Treasuring our roots helps us lead better lives.

 暦の上では、春を迎えました。境内にある古木、紅梅の枝頭にも、花咲く春の足音が聞こえます。枯れたように見える樹木も、花や葉が落ち養分となって、目に見えない土の中で、根が水を吸い上げ、着実に命を繋いでいたのです。
 咲いた花見て喜ぶならば
  咲かせた根元の恩を知れ
という言葉があります。刹那に生きる凡夫ぼんぶ(私たち)の姿、目に見えるものへのみ、感情がつい向きがちな我々です。花が咲いたおかげで、実が実る。根がなければ、花実をつけることさえありません。水も無ければ、樹は枯れてしまうのが常識です。我々も、数えきれないほどのご先祖さまの命と、それを、育んだ無数の人の命の繋がりで、生かされているのです。
 私の住職としての日々も、一つの時代の節目、平成と共にあり、30年目を迎えました。幸い近寺の住職を務める父、師僧の指南があり、なんとか今日まで法灯ほうとうを護まもることができましたが、その陰には、いつも優しい母の姿がありました。この両親をはじめ総代方、お檀家さまの支えがあってこそ今日の私があるのです。
 その母も亡くなり、今年9年目を迎えます。多忙な父の留守がちなお寺を、一人で50年近く護ってくれました。母は肝臓を患い、晩年は肝性脳症から来る幻聴・幻覚に苦しみ、昼も夜も分からない状況でした。たまに母を訪ねると、夕方薄暗くなった台所で、電気も付けず、眼を閉じて、椅子に腰かけたまま過ごすようなことがよくありました。母の背後から「大丈夫?」と声をかけると、母は口癖のように、小さな弱い声で「何か食べる?」「何か作ろうか?」「お腹減っていない?」と、まず私を案じてくれました。自身の体調などいつも後回し、今更ながら、子を思う母の心の大きさ、優しさに、自身の至らなさを恥じる毎日です。母は私がこの世に生をける前にも後にも、惜しみなく愛情を注ぎ続けてくれたのです。
 阿弥陀さまは、私たちが生まれるずっと前からお浄土を構え、救いの御手を無条件に差し伸べられています。私もやがて母の待つそのお浄土で、自身の花を咲かせるべく、その根を培う日々のお念仏に精進して参りたいと思います。阿弥陀さまが説かれた本願のお念仏を、そして法然上人お導きのお念仏を、共に申して生きてまいりましょう。
(滋賀県東近江市 西福寺 稲岡純史)

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