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今月の言葉:2020年04月

咲いて散って また咲く準備

Enduring and overcoming today's sufferings will nourish a brighter future.

 今年も花が咲き誇る季節となりました。昨年散った花が、また同じように美しく咲いたときに、四季の移ろいを感じたり、その一生懸命に生きる姿を見て、元気をもらうことがあります。
 私のお寺には多くの草花が生えており、そのなかには小さいながらも花を咲かせるものが多くあります。ある時、庭の草むしりをしていると、祖母から「花をつける草はそのままに」と言いつけられたことがあり、それからはその教えを守るようにしています。するといつの間にか、庭に花々が咲き、それを見ると、少しほっこりした気持ちになりました。花をつけない草が一生懸命でないというわけではありませんが、けなげに咲くための準備をしている草花を大切にしたい、そんな気持ちが祖母にはあったのではないかと思っています。
 浄土宗がりどころとするお経の一つ『かんりょう寿じゅきょう』のなかで、お釈迦さまは「お念仏を大切にする人は、さながら泥のなかから咲くびゃくれん(ハス)のように尊いのである」と述べておられます。これは、嫌なことや悲しいことのあるこの世界のなかでも、お念仏をとなえる人は、それに染まらない蓮のような尊い存在だという意味で、お釈迦さまからの励ましといえるものです。
 私たちの日常は、決していつも順風満帆とはいきません。何をやっても、うまくいかないときもあります。それでも一生懸命生きて、阿弥陀さまにすがり、お念仏をとなえる。私たちが花をでるときのように、阿弥陀さまはあたたかな眼差しで、その姿を見守り、励ましてくださいます。
 花は咲いて、散って、またつぼみを膨らませますが、これは西方極楽浄土へ往生を願ってお念仏をとなえる、私たちにも当てはまることです。私たちの人生は咲いた花が散るように、いずれ終わりを迎えます。しかし、お念仏をおとなえすることで、お浄土での新たな歩みがはじまるのです。
 庭の草花がふたたび咲く準備をするように、私たちもいつかに備えておきたいものです。「この世での命を閉じるときがすべての終わりではない」ということを心にとどめることで、生き方にもきっと変化が表れてくることでしょう。

(長野市西後町 十念寺 袖山栄純)

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