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今月の言葉:2021年09月

称え続けてわかること

Through the nenbutsu, we can connect with those who have passed away.

「現代人は忙しい、お風呂の時間さえも短くなっている」と入浴剤のCMでいわれているように、私たちは落ち着いて何かをする時間を持てなくなっています。慌ただしい毎日だとお念仏を称える時間も少なくなっているのではないでしょうか。今は「念仏を先とす」(選択集)とおっしゃった法然上人の心に触れてみましょう。

そこで少し立ち止まって、お念仏を称える行為を考えてみたいと思います。仏教では、まず何かを思う心のはたらきがあって、次にその思いに動かされて言葉や身体に表される行いが起こると見ています。お念仏で言い換えると、称えたいという思いがあって、口に称えるという行いが生まれることになります。そうしますと、念仏を称えたいという真剣な思いが、私たちの心の中にあるのだろうか、という思いが湧いてきます。法然上人は私たちがそう考えてしまうことは百も承知なのです。「一枚起請文」に「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思いとりて申す外には別の子細候わず」と示されているように、南無阿弥陀仏と称える口の行為が先にあります。口から心へ、そして口へ、また心へと、これが繰り返されます。私は法然上人が南無阿弥陀仏と称えることによって心を作っていくように、とおっしゃっておられるように感じます。気づかぬうちに愚痴や悪口を言ってしまう、また言わなかったとしても心に思ってしまう、そういう私たちに、まずは称えることからはじめることを勧められておられるのです。

時折お念仏を称えている間には「掃除するのを忘れていた」「買い物に出かけなければ」など、あれこれと俗事に気がとられて、称えることを中断してしまうことだってあります。お念仏を称えていると煩悩まみれの自分というものがよく見えてきます。あるいは日課念仏を厳格に何遍と決めている人は、「今日は目標を達成できなかった」と自分を責めてしまうこともあるでしょう。でも法然上人はおっしゃっておられます。「急ぐ道には足遅きを嘆く。急がざる道にはこれを嘆かざるがごとし」(十二箇条の問答)。お念仏を称え続けていると生まれてくるそうした嘆きを、法然上人はその心こそ大切にと、励ましておられるように思うのです。

(滋賀県東近江市 東光寺 小川法道)

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