浄土宗教誨師会が組織されたのは昭和37年11月7日で、浄土宗の合同と「法然上人七五〇回忌御遠忌」の盛大な厳修を機としてである。この時、それまで個々で活動されていました教誨師が、特定布教師という名のもとに浄土宗に登録され、全国レベルの浄土宗教誨師会として発足する。 それ以前の教誨師の活動は資料もなく歴史をたどることは非常に困難ではあるが、明治初年のある時期、篤志宗教家による教誨が盛んに行われ、各宗本山に対して、教誨師派遣の要請があったが、しかし、財政上その他の事情により、次第に下火になっていった。その中で東西本願寺だけは、この活動を積極的に支援し、継続していった。
明治36年、監獄官制の改正により、篤志宗教教誨師は奉任並判任官待遇の官吏として、施設に常駐して教誨を担当するようになる。 戦後、憲法の改正により政教が分離され、宗教教誨活動は大きな変化を余儀なくされ、国や矯正施設は、直接宗教教誨の活動に関与することができなくなる。しかし「人格の改善を主要な目的の一とする刑政の場においては、宗教信仰がこの目的達成のために、大きな役割を果たすことは明らかであるから、受刑者に対し、宗教の社会的機能について理解させることは、必要なことといわねばならない」という東京地裁の判決が出て、宗教家が自発的ボランティアとして、開かれた施設の門をくぐることができるようになる。
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法要後の法話 |
現在浄土宗においては毎年、中央研修会・教誨師研修会・地方研修会が開催されている。また各施設には教誨事業後援会があり、その寄付金集めも教誨師の仕事となっている。 近年特に外国人受刑者が増加し、浄土宗教誨師会としても、外国図書の入手に協力をしている。
多くの先達が教誨師の地位向上のため貢献してきたが、その成果は現在の生存者叙勲や藍綬褒章受章などにも多数見ることができる。
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