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連載・特集

法然上人 浄土宗を開く 善導大師との革命的出会い

2021年03月01日

イラスト 鎌田みか

令和6年、法然上人(ほうねんしょうにん)が浄土宗を開いて、850年を迎えます。

「誰もがお念仏によって救われる」という上人の教えは、当時の仏教界を揺るがすものでした。

上人はどうしてこの革新的な教えを深く信じ、ひろめようと思ったのでしょう。今号では、そこに至る二つの出来事についてお話しします。

誰もが救われる教えとの出会い
一心専念の文

浄土宗を開く以前、法然上人は、仏教の中心地であった比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で、悩みや苦しみの世界から脱する「さとり」を得る方法を求め、学問に励んでいました。

学識の深さを周囲からたたえられるほどの上人でしたが、「仏教の規則に沿った生活をする(戒(かい))」「心を乱れないようにする(定(じょう))」「物ごとを正しく判断する力を得る(慧(え))」の三つの実践(三学(さんがく))を完全に行うことができないことを悩んでいました。一見して完璧な実践が困難とわかる三学ですが、仏教者はかならず修すべきとされていたのです。

上人は自身を、とても三学など、全(まっと)うできない存在「凡夫(ぼんぶ)」ととらえました。そして、自分だけでなくこの時代を生きるすべての人の本来の姿が凡夫なのではないかと思い至ります。

現代から2500年前に仏教を開いたお釈迦(しゃか)さまは、相手の性格や置かれた状況に応じた多くの教えを説かれ、それはお経という形で残されました。上人は、そのなかに凡夫が悩みや苦しみから救われる教えもあるのではないかと考えたのでしょう。一切経(いっさいきょう)と呼ばれる膨大な数のお経をまとめたものに何度も目を通します。

繰り返し一切経を読む中で、苦しみや悩みのない「極楽浄土(ごくらくじょうど)」という仏の世界やそこへ往生(おうじょう)を遂げる方法について書かれた書物に引用された一文が目にとまります。それは、唐の僧侶・善導大師(ぜんどうだいし・613‐681)による「念仏によって十人は十人、百人は百人が往生できる」との文言。

—お念仏こそ、凡夫が救われる教えではないか。

法然上人は、実際に大師の書物を目にしたいと、あちこちを探し求め、読みふけります。そのなか、極楽浄土の様相や、そこに往くための方法が書かれたお経『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の解説書である『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』を読むこと3回、末尾近くに次のような文章があることに気が付きます。

「一心にひたすら阿弥陀仏(あみだぶつ)の名号(みょうごう)(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ))をとなえ、いつ、いかなることをしていても、時間の長短に関わらず、つねにとなえ続けてやめないこと、これを阿弥陀仏が『正しく定めた往生のための修行』という。それは、往生を願い念仏をしたすべての命あるものを極楽浄土へ救うという阿弥陀仏の誓いにかなった修行だからである」(趣意)

三学を実践できない凡夫を含めたすべての存在が、一心にお念仏をとなえるだけで、必ず極楽浄土に救われる。そのことを仏さまが間違いないと誓ってくださっている。この事実は、三学を実践しなければ悩みや苦しみから脱せないと思っていた法然上人の価値観を一変させました。

ときに承安(じょうあん)5年(1175)、上人43歳のときのこと。これ以降、上人はただひたすらにお念仏をとなえる「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の生活に身を投じることになります。

この一文を「一心専念(いっしんせんねん)の文(もん)」と呼び、浄土宗が開かれた機縁とすることから「開宗(かいしゅう)の文(もん)」と呼ぶこともあります。

善導大師に後押しされ
二祖対面

「一心専念の文」と出会ったころ、法然上人はある夢を見ます。

夢のなか、上人が非常に高い山の中腹から西の方角を見ると、大きな川を挟んだ向こうに一群の紫の雲がたなびいてきます。

その中からは、体から光を放つクジャクやオウムなどの鳥が現れ、ほどなくして雲に戻っていきました。その後に、腰より下が金色の僧侶が、雲から姿を表しました。

法然上人が「あなたはどなたですか?」と訊(き)くと、僧侶は「私は善導である」と答えます。上人が続けて、現れた理由を尋ねると、善導大師は、「あなたが専修念仏の教えをひろめていることが尊いのでやってきた」と答え、そこで上人は目を覚まします。

この時代、神や仏が夢で真実を告げると信じられていたことから、法然上人もお念仏が善導大師の意に沿ったものと確信。教えをひろめていくことへの想いを強くしたのでした。

この夢での出来事は「二祖対面(にそたいめん)」と呼ばれており、それから80歳で往生を遂げるまで、多くの逆境にあいながらも、上人は途切れることなくお念仏を実践し、人々に伝えました。この夢で得た確信は、それほど深かったのでしょう。

法然上人がお念仏の教えと出会い、浄土宗を開かれてから間もなく850年。その教えが今日まで脈々と受け継がれてきたのは、善導大師から伝えられたお念仏が「誰もが救われる教えだ」という、上人の想いが間違いないことの証といえるはずです。

 

人々を導く存在である証
善導大師 半金色の姿

法然上人が夢で出会った善導大師は腰から下が金色(半金色(はんこんじき))であったとされます。その理由は、大師は阿弥陀仏が姿を変えて現れ出た存在であるからだといわれています。このことによって、寺院などに祀(まつ)られる善導大師像は半身を金色としているのです。

法然上人は、手紙のなかで、「善導大師は、人々に教えをひろめるために阿弥陀仏が人の姿として生まれた存在。その教えは、そのまま仏の説かれたことに他なりません」と記すなど、生涯にわたって善導大師を深く敬い、帰依(きえ)しました。

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