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東日本大震災10年 悲しみに節目ない 寄り添い 供養続ける 宮城・大忍寺

2021年04月01日

東日本大震災犠牲者の合同法要を営む福井孝幸住職

東日本大震災で全校児童108人中74人と教職員10人が津波の犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校。震災遺構として保存されることとなった校舎で、近くにある大忍寺(だいにんじ)の福井孝幸(こうこう)住職(54)は「苦難に寄り添うのは僧侶の務め」と、あの時からずっと供養を続ける。

震災からちょうど10年となる3月11日、大忍寺では午前11時から犠牲者の合同法要が営まれた。コロナ禍で昨年から人数は減っているが、それでも大川小で子どもを亡くした父母や地域の遺族ら25人余りが参列。福井住職が懇(ねんご)ろに読経(どきょう)するなか、次々と焼香した。

この法要は震災3年目から毎年行っており、祭壇に安置した「東日本大震災津波横死諸精霊(おうししょしょうれい)」の合同位牌の日付には、通常の元号だけではなく「2011年」と記されている。「何百年経っても分かるように、悲惨な体験を絶対に風化させないように」との思いからだ。その姿勢は変わらず、生活復興もほど遠い当初から、遠く東京への避難者も含めて多くが集まった。

「皆さん、大勢で追悼し心を一つにしようとされています」と福井住職は強く感じている。この日家族で顔を見せた尾形和俊(かずとし)さん(54)は当時4年生の次男と1年生の長女を失った。合掌して嗚咽(おえつ)を漏らしながらも、「こういう機会を設けていただきありがたい」と、震災後に生まれた弟の弦希(げんき)君(8)を引き寄せた。住職も「亡くなった仏さまたちが向こうから感謝して合掌をしておられるでしょう」とあいさつしながら涙で言葉を詰まらせた。遺族や関係者の悲しみはなお消えず、「節目などありません」と住職も話す。

10年前のあの日、福井住職は外出先で地震に遭った。すぐに自坊(じぼう)へ戻り、津波警報が解除されるまでの数日、避難者の受け入れに奔走。その間、大川小では児童の遺体がそこら中に横たわり、父母らが泥まみれでわが子の名を叫びながら捜し回るという惨状が繰り広げられていた。知人からそれを聞き、自分に何ができるかと悩みながらも「坊さんなんだから」と校舎の残骸の前で読経の供養を始めた。

遺族の極限の悲嘆を癒すことはとてもできないかもしれないが、供養せざるを得ない。そんな気持ちで雨や雪の日も炎天下も毎日通い続け、その年は大晦日まで一日も欠かさなかった。地域では多くの死者が出、集落が壊滅したところもある。同寺の檀信徒も20人が亡くなった。福井住職は葬儀や法事で、残された人たちの話をじっくり聞き、苦悩を共有してきた。そして大川小にその後も月に何日も通う姿は、遺族らの心の支えになっている。

この日午後には大川小の校舎前に遺族らが続々と訪れ、地震発生時刻の2時46分のサイレンに合わせて亡き子らの冥福を祈った。福井住職は、多数の報道陣が引き揚げてから宗門の僧侶3人とともに静かに供養した。この10年で檀家や地域の人々と励まし合い、助け合ってつながりが強くなったと感じる住職は「皆さんの信心が深まっています」と語り、「しっかりせよと阿弥陀さまに言われている気がします」と、自らを支える信仰の揺るぎなさを口にした。そして、「弔いは僧侶の当然の義務。体が動く限り供養に通い続けます」と表情を引き締めた。

(ジャーナリスト・北村敏泰)

大川小で供養する福井住職ら浄土宗僧侶

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