浄土宗吉水会は浄土宗の尼僧すべてで構成される組織です。 大正11年尼衆存続が論ぜられた時、尼僧有志百余名が存続を願ったのに始まります。会長に久世成章尼公を推挙し規約を制定今日に至っております。
初めての尼僧別庵法要は善導大師千二百五十年遠忌に300名が参列、活動として、大阪に累徳学園経営、又恵まれない少女の保護善導に司法保護団体吉水教園を創設等がある。布施の行者颯田本真尼の念仏の智慧にもとづく大悲心が人々の心を温める、吉水会員のすべてがもつ、かくれた原動力です。昭和21年の戦後の混乱期に吉水会復興に尽くされた寺田・岡野両尼の努力が今日の基礎を作られた。昭和34年吉水学園高等学校並びに、仏教専修科を開設される。宗祖七百五十年遠忌記念事業として、『浄土宗尼僧史』を発刊、吉水会員の行跡が始めて世に現わされる。
昭和38年三代会長に
善光寺大本願御法主一條智光台下が就任され、浄土宗尼僧はすべて吉水会員になる。 昭和46年、宗会議員に富山支部薮内好禅尼、三河支部の鈴木大雲尼当選、それによって行動範囲が広くなり、以前にもまして教化活動が活発化する。
昭和47年伝道教化誌「かおり」の発刊日常生活の中のよき助言者としての役割を果す。又その外海外に向けては、沖縄社会福祉法人袋中園吉水寮開設の基金募集、勢至丸像の寄贈、日台戦没者慰霊法要を台湾バーシー海峡にて厳修し又方正県地区日本人公墓、麻山地区日本人公墓、日本人開拓移民団犠牲者五十回忌慰霊法要を方正県知事の要請により奉修。尚その節人民会堂にて仏教関係者、方正県人民政府関係者との交流、日韓尼僧によるビバーラへの討論、国際仏教尼僧会議が印度・ブッダガヤにて開催されたが、日本代表として出席した尼僧道場長近藤徹称尼とモリス・オーガスチン師との共訳で『英訳選択本願念佛集』を平成13年出版される。
平成10年一絛智光台下御遷化により日野西徳明上人が第四代会長に就任される。以後、浄土宗・吉水会同窓会各位による絶大な御尽力を得て始終一貫、宗祖のお心を心として、自らを高めると共に、温故知新、自行化他をもって、幼稚園、保育園、日曜学校、お茶、お花等、女性一般教養の課程のほとんどに、お念佛の尊さ、共生の意義等、尼僧特有の暖かさ、優しさをもって、接する人々に、その種をまきつづけて今に至っております。
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会員法式研修会 |
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