浄土宗とは? ~ ご本尊について

阿弥陀三尊(あみださんぞん)

浄土宗のお寺の本堂中央には、仏さま一体だけでなく、左右に各一体ずつ、合わせて三体が祀られているのが一般的ですが、この両側に祀られている仏さまは「脇侍」と呼ばれます。中央のご本尊が人々をお救いになるのを助ける菩薩さまで、阿弥陀さまには向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が祀られており、これを「阿弥陀三尊」といいます。

観音菩薩は正しくは観自在菩薩、観世音菩薩といい、仏さまの「慈悲」を象徴しています。多くの経典に登場する観音さまは、古来、広く人々の信仰を集めており、有名な『観音経』には、そのお姿を三十三に変えて衆生を救うと説かれています。阿弥陀三尊では、多くの場合、来迎の際の蓮台を捧げ持つ姿で表されます。
勢至菩薩は、仏さまの「智慧」を象徴する菩薩で、合掌した姿で表されます。 
 

阿弥陀象

私たちの身近には多くの仏さま・菩薩さまがいらっしゃいます。道端に佇むお地蔵さま、各地の霊場にもよく祀られている観音さまなどはじめ、お寺や家庭のお仏壇に祀られている仏さまや菩薩さまにはたくさんの種類があります。そのため、それぞれの区別がつかない方も少なくないかもしれません。

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
              美男におわす 夏木立かな

歌人の与謝野晶子(1878‐1942)は、鎌倉の大仏さまをこう詠みました。でも、鎌倉の大仏さまは実は阿弥陀さま。これを小説『山の音』の中で指摘したのは、川端康成(1899‐1972)でした。大仏さまは、そのまま「大仏さま」として親しまれていたことが、与謝野晶子に勘違いをさせたのかもしれません。ややこしいのですが、同じ大仏さまでも、奈良の大仏さまは毘盧遮那(びるしゃな)(舎)仏(ぶつ)といいます。東西で有名な二つの大仏さま、確かにどちらも「大仏さま」ではあるのですが、違う仏さまなのです。

ほかにも、「牛に引かれて善光寺参り」の信州善光寺(長野市)、世界遺産に登録された中尊寺金色堂(岩手県平泉町)などにお祀りされているのも阿弥陀さまです。

九品の印相(くほんのいんそう)

仏像でも絵に描かれたものでも、阿弥陀さまを拝する際には手の部分をよくご覧になってみてください。手と指が独特な組み方をされていることに気がつくはずです。

浄土宗でよりどころとしているお経の一つ、『観無量寿経』というお経は、阿弥陀さまの極楽浄土へ往生するための実践方法が説かれているものですが、往生を願う人の性質や行いによって階位があるとしています。

まず大きく三種《上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)》に分け、その各々がさらに上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)に分けられるというもので、これを「九品」と呼んでいます。先ほど記した〝手と指のかたち″は「印相」または単に「印」といい、仏さまの功徳やはたらきを象徴しているもので、阿弥陀さまに限らず他の仏さまもさまざまなかたちをとっています。阿弥陀さまの場合は、実はこの九品を表しているのです。

たとえば坐像では、人差し指と親指で輪を作り、両掌を上に向けて組んだかたちが一般的で、これは「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」を表しています。
また、胸の前で両掌の指を上に衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)」の印もあります。立像(りゅうぞう)では、右手を上に、左手を下にし、両手とも掌を衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「下品上生(げぼんじょうしょう)」のかたちをとるものが多くなっています。それぞれ、輪を作る指が親指と人差し指の場合は「上生」、親指と中指で作ると「中生」、親指と薬指では「下生」となります(違う説もあります)。

九品は、ともすると衆生が仏さまによって差をつけられているようにも受け取れますが、法然上人は、「善人も悪人も同じように極楽に往生できると説いたなら、とくに悪人は慢心を起こすであろうことを懸念して、お釈迦さまがあえてそのような説き方をされた、いわば巧みな方便である」と明かしています。愚かな至らぬ身であるとよくわきまえ、日々お念仏をとなえることが大切なのです。

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