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選択本願念仏集 ~ 【第十五】六方諸仏護念篇

第十五章段
六方の諸仏念仏の行者を護念したまうの文

『観念法門』に云く、また『弥陀経』に説くがごとき、もし男子女人有って、七日七夜および一生を尽して、一心に専ら阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、この人常に六方恒河沙等の仏、ともに来って護念したまうことを得るが故に『護念経』と名づく。『護念経』という意は、また諸悪鬼神をして得せしめず。また横病横死、横に厄難有ること無く、一切の災障、自然に消散す。不至心を除く。 『往生礼讃』に云く、もし仏を称して往生する者は、常に六方恒河沙等の諸仏の為に護念せらるるが故に『護念経』と名づく。今すでにこの増上の誓願の憑むべき有り。諸の仏子等、何ぞ意を励まして去らざるや。

私に問うて曰く、ただ六方の如来のみ有って、行者を護念するや如何。
答えて曰く、六方の如来に限らず、弥陀、観音等、また来って護念したまう。故に『往生礼讃』に云く、「『十往生経』に云く、もし衆生有って、阿弥陀仏を念じて往生を願すれば、彼の仏すなわち二十五の菩薩を遣して、行者を擁護せしむ。もしは行、もしは坐、もしは住、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切の時、一切の処に、悪鬼悪神をしてその便を得せしめず。また『観経』に云うがごとき、もし阿弥陀仏を称礼念じて彼の国に往生せんと願ずれば、彼の仏すなわち無数の化仏、無数の化観音勢至菩薩を遣して、行者を護念す。また前の二十五の菩薩等とともに、百重千重に行者を囲繞して、行住坐臥、一切の時処を問わず、もしは昼、もしは夜、常に行者を離れたまわず。今すでにこの勝益の憑むべき有り。願わくは諸の行者、各すべからく至心に往くことを求むべし。」 また『観念法門』に云く、「また『観経』の下の文のごときは、もし人有って、至心に常に阿弥陀仏および二菩薩を念ずれば、観音勢至、常に行人の与に勝友知識と作って隨逐影護す。」
また云く、「また『般舟三昧経』の行品の中に説いて云うがごとく、仏の言わく、もし人専らこの念弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切の諸天および四天大王、龍神八部、随逐影護し、愛楽相見することを得て、永く諸の悪鬼神・災障厄難、横に悩乱を加えること無し。つぶさには護持品の中に説くがごとし。」また云く、「三昧の道場に入るを除いて、日別に弥陀仏を念ずること一万して、畢命相続する者は、すなわち弥陀の加念を蒙り、罪障を除くことを得。また仏と聖衆と、常に来って護念したまうことを蒙る。すでに護念を蒙れば、すなわち延年転寿を得。」

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