十夜会

お十夜は、10月から11月にかけて浄土宗寺院で行われる秋の念仏行事です。「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」など色々な呼び方がありますが、正式には「十日十夜法要」と言います。もともとは旧暦の10月5日夜から15日の朝まで、十日十夜にわたってお念仏をとなえる法要でした。

お十夜の歴史

お十夜の歴史は古く、永享年間(1430年頃)にまでさかのぼります。室町時代の第6代将軍足利義教の執権平貞経の弟平貞国が世の儚さを感じて、仏道に生きようと京都の真如堂(天台宗・真正極楽寺)にこもり、十日十夜の念仏行を行ったことが始まりとされています。

その後、鎌倉にある浄土宗大本山光明寺の第9世観誉祐崇(1426-1509)上人が後土御門天皇に招かれ、宮中で『阿弥陀経』について講義をし、真如堂の僧と共に引声念仏(妙味豊かな節をつけてとなえる念仏)を修しました。天皇はこれに大変感激されて明応4年(1495)の10月、大本山光明寺での「十夜法要」奉修に許可が下されたのです。これが浄土宗における十夜法要の始まりです。
浄土宗が最も大切にするお念仏をとなえる行事として、今日に至るまで全国の浄土宗寺院で行われています。
大本山光明寺では、今でも毎年10月に、盛大に十夜法要を厳修します。
期間中、稚児礼讃舞や雅楽が奉奏され、境内には露店も並び多くの参詣者で賑わいます。
*工事のため2022年現在は開催されていません。

また、「十夜」は冬の季語ともなり、多くの先人が俳句に詠んでいます。

十夜鉦 障子灯るを 待ちかねて -草間時彦

月影や 外は十夜の 人通り -正岡子規

また、十夜法要は阿弥陀さまに感謝の気持ちを伝える法要でもあることから、秋の収穫に感謝する意味で、仏前に新米や、新米で作ったおはぎ、小豆飯(赤飯)などを供える地方もあります。
お粥のことを「おじや」と言いますが、一説によると、「おじゅうや」が訛って「おじや」になったのではないかとも言われています。
一見つながりがないように見えますが、お十夜には、ご本尊にお供えした小豆飯を粥にした十夜粥を参拝者に振る舞う習慣があります。先に述べた説はそこから生まれたともいわれます。

参考動画大本山光明寺 お十夜 稚児礼讃舞

お十夜の由来

浄土宗でよりどころとしている経典の一つ『無量寿経』の一節にある教えを実践したものです。そこには、「娑婆世界で十日十夜の間、善行を修めることは、仏の世界で千年にわたって善行に励むよりもすぐれている」と説かれています。
なぜこの世界での修行が仏さまの世界で千年間修行する以上の功徳があるのでしょうか。その理由について同じく『無量寿経』によれば、仏の世界には修行を修めるものが数多くおり、煩悩など妨げとなるものがなく自然に功徳が積める修行しやすい環境であるのに対して、この娑婆は煩悩や苦しみ、悪い行いに満ち溢れ、そのせいで人々はあくせくと日々を送り、一日たりとも心が休まることがない、そんな世界だから、ということになります。
もちろん、いつも悪いことばかりする人はそういません。
しかし、日々のあわただしさで、お念仏のことを忘れてしまったり、ときによくないとわかっていても悪いことをしてしまうこともあります。お念仏をするという一見簡単に見える修行であっても、悪い行いをせずにいつも続けるのはとても難しいことなのかもしれません。

二つの流れ

十夜法要には大きな二つの流れがあります。一つは「十夜会古式」です。これは光明寺に祐崇上人から伝わる引声念仏、引声阿弥陀経などを中心に行われているもの。
光明寺の山門では、双盤(大きい鉦を2個、木枠に吊るした仏具)と太鼓に合わせたお念仏がとなえられます。
もう一つが、浄土宗寺院で一般的に行われているもので、特別な日時を定めてもっぱら称名念仏行に励む別時念仏会の形式です。
「古式」の伝承が難しく、一般の寺院では修しにくかったのでしょう。本来、行われる日数は10日間でしたが、それが5日、3日、あるいは1日と短縮される寺院が増えました。