よくあるご質問

「ご法事」と聞くと多くの方が〇回忌という年回法要を思い出されるかもしれません。「法」には“仏さまの教え”、「事」には“物事を行う”の意味があります。本来は、“仏さまの教えを実践すること”がご法事であり、その意味では毎日仏さまにお供えをしたり、お勤め(読経)をしたりすることも全て法事です。また、仏前に物品を捧げることを供養といい、亡き人の為に供養することを追善供養、追善回向といいます。追善とは亡き人の為に善い行いを積むことで、回向は、自分が積んだ功徳を自分の為だけではなく、ほかの人に振り向けることです。回向は全ての人が極楽に生まれて、ともにさとりへの道を歩むことを願うという、大きな慈悲の心をあらわす行為となります。浄土宗の教えでは心をこめて「南無阿弥陀仏」とお念仏をおとなえすることが最高の功徳であり、追善供養、追善回向となります。

葬儀式とは、僧侶が亡き人に「引導」を授け、阿弥陀さまのお迎え(来迎)を仰いで、速やかに極楽に往生することを願う法要です。引導とは人々をさとりの道に導くことですが、この世で仏道を極めることは難しいため、まずは極楽浄土に生まれ、阿弥陀さまのもとでさとりへの道をあゆめるように導くのが浄土宗の引導です。
一方、告別式とは生前親交のあった方々とお別れをするための式典です。告別式でもお念仏・読経することはありますが、亡き人を極楽浄土へ導くお勤めは告別式ではなく葬儀式です。

もともと「彼岸」は、私たちが生きる、苦しみに満ちたこの世界(此岸)とは対照的な、向こう側の世界、つまり極楽浄土を意味します。
『観無量寿経』というお経には、「極楽浄土のある西の彼方に沈みゆく夕日を観て、浄土を想え」との修行法(日想観)が説かれます。春分・秋分の日には太陽が真西に沈むことから、お寺の法要への参加やお墓参りを通じて、極楽浄土と、そこに先立たれた大切な人を想って手を合わせましょう。

お盆は、極楽浄土にいるご先祖さまをお家にお迎えして供養をする期間です。
「精霊棚」の設えや、馬と牛に見立てたきゅうりとなすを飾るなどして、お迎えの準備をします。お盆の初日には、玄関先やお庭で「迎え火」をたいたり、提灯を持ってお墓に行ったりして、ご先祖さまをお迎えします。お盆の終わりにも、「送り火」をたく、提灯を持ってお墓に行くなどして、お見送りをします。地域やお寺によって何をするかは異なりますが、ご先祖さまへの感謝の気持ちを持って過ごしましょう。

年回法要は、亡くなって一年目を一周忌とし、以降、三と七のつく年に行います。一番大切なことはもちろん毎日のご供養ですが、年回などの節目には、とくに心を新たにして追善の思いを捧げることを心掛けたいものです。仏事では数え年を用いるので、二年目が三回忌、六年目が七回忌、以降、十三、十七、二十三、二十七、三十三回忌と続き、古くから日本では三十三回忌もしくは五十回忌が済むと「亡くなった人は先祖になる」と信じられてきたことから五十回忌の後は五十年ごとに報恩感謝の法要を行います。

お念仏の教えに出会い、実践したご先祖さまは間違いなく阿弥陀さまのお導きによって極楽浄土に往生されていますが、お念仏に出会えなかったものは、常に飢えと渇きに苦しむ餓鬼の世界に生まれ変わっているかもしれません。
浄土宗のお施餓鬼は、そのような方々とお念仏との縁を繋ぎ、極楽浄土に往生してもらうため、そして、餓鬼を供養することによって得られる功徳を、極楽浄土にいるご先祖さまや大切な方に振り向けるためにおつとめします。

除夜には、旧年を押しのけて新年を迎える夜といった意味があります。「夜を除く」とも解釈され、大晦日の夜は眠らずに元旦の朝まで起きている風習もあります。
除夜の鐘は108回つきますが、つき方については諸説あり、地域や寺院によって様々です。例えば、108回すべてを年内につきおえる場合や、107回を年内につき、最後の1回を新年になってつく場合、あるいは大晦日から新年にかけて、年をまたいで108回つく場合などがあります。

浄土宗檀信徒の方々に対し、浄土宗の教えを五つの順序にしたがって相伝する儀式のことです。
もともとは僧侶向けのものでしたが文明7年(1475)、三河・大樹寺の愚底上人が岡崎城主松平親忠に相伝したのが信者向けに行った最初とされます。
本来は7日間の法会で、前6日間を前行、最終日を正伝法としますが、近年では短縮し5日間で実施することが多くなっています。前行では、勧誡師と呼ばれる僧侶による浄土宗の教えのお話のほか、礼拝、お勤めを行い、正伝法では厳かな道場で浄土宗の教えの奥義を伝授されます。
お釈迦さま以来、正しく仏教の教えが浄土宗に伝わった証である伝巻(血脈)、戒名の一つである「譽号」が授与され、生前に五重相伝を受けることがかなわなかった有縁の故人に向けた贈五重という特別な回向も勤められます。

お数珠は、お念仏の回数を数えるための仏具で、お念珠とも言います。
浄土宗では一般的に、輪を二つ組み合わせた「日課数珠」(「毎日お念仏をとなえるための数珠」の意)を使います。
合掌の際には両親指に二つの輪を掛け、房は手前に垂らします。それ以外のときには左手首に掛けておくとよいでしょう。
手のひらでお数珠をこすり合わせるなどの作法は、浄土宗の作法にはありませんのでご注意ください。

こちらの動画で詳しくご案内しております。
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お焼香には、ご本尊さま(仏さま)とご先祖さまに対する私たちの思いを、お香の煙に託して届けるという意味が込められています。
お焼香をするときには、まず合掌し、ご本尊さまに礼をします。
次に右手の親指と人差し指、中指の3本でお香をつまみます。つまんだ右手を仰向け、その下に左手を受けるように添えます。そのまま眉間の高さほどまでいただき、香炉の炭の上に丁寧にくべます。お焼香をしたらふたたび合掌、礼をします。
回数は厳密には決まっていませんが、1回から3回程行います。お葬儀や法要などで大勢がお焼香するときは、心を込めて1回行いましょう。

阿弥陀さまやご先祖さまに対する崇敬の思いを表す方法の一つに合掌があります。
両手のひらをぴったりと合わせ、指と指の間が開かないように注意しましょう。このとき手の角度が上や下に向き過ぎないようにしましょう。胸から45度くらいの角度が最も美しく、自然に見えます。
合掌した手と胸の間に拳ひとつ分ほどのすき間を空けます。また、肘と身体の間にも少し余裕を持ちましょう。

「お香典」は、お通夜やお葬儀の際に参列者(会葬者)から喪主に渡す金品を指し、一方、「お布施」は法事やお葬儀の際にお坊さんへ渡す金銭を指します。お布施は読経・ご法事に対する報酬ではなく、「布施行」といわれる仏道修行に由来します。
お布施やお香典を包む袋を俗に不祝儀袋・香典袋などといい、香典袋にかけられている色のついた紙糸を「水引」といいます。弔事には黒白、双銀などがふさわしく、「二度と起こらないように」という意味で「結び切り」の形を用います。また哀悼を表す、薄墨(薄墨筆ペンなど)で書くのが良いとする慣習もあります。そのほか、「不幸を待っていた」という印象を避けるため、新札以外を用いるのが無難です。
裏面は、下向きの折り返しが外側になるように包みます。
お金は袋に直接包まず、白無地の封筒を中包みとして用いるとより丁寧です。中袋(白無地の封筒)は、表に金額を、裏に住所、氏名を書きましょう。金額は旧字体(下記参照)で書くのが一般的。お札は人物が描かれてない面を表にして入れましょう。

一…壱 二…弐 三…参 五…伍 十…拾 万…萬

香典袋は、袱紗(贈り物を包むための方形の布)に包み、渡す際には、袱紗を開き、香典袋を袱紗のうえにのせて渡しましょう。

お仏壇はお寺の本堂を模して造られた、お家の中の小さなお寺であり、阿弥陀さま、ご先祖さまに感謝をお供えする場でもあります。お仏壇の祀り方は以下の動画で詳しく解説しています。ご興味のある方は是非ご覧ください。

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お仏壇は、阿弥陀さまやご先祖さまをお祀りする場所ですので、いつもきれいにしておきたいものです。お仏壇やお仏像を傷めないお掃除のコツを以下の動画で詳しく解説しています。ご興味のある方は是非ご覧ください。

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お位牌は木の札に亡くなった方の法名(いわゆる戒名)や俗名、命日、行年(享年)を記してお祀りします。お位牌は亡き方の象徴です。生前と同じように語りかけ、ご挨拶をしましょう。
お位牌には、四十九日までお祀りする「仮位牌」と、お仏壇にお祀りする正式な「本位牌」があります。仮位牌は白木で作られていることから白木位牌、本位牌は漆塗りが施されていることから塗り位牌ともよばれています。

日本では、墓石に遺骨を納め、供養するのが埋葬の主流とされてきましたが、「永代供養墓」「合祀墓」「樹木葬」「散骨」など、近年は埋葬方法にも多様化が見られます。これらはお墓を管理する人がいなかったり、管理が経済的に難しい方にとっては合理的な供養の方法といえますが、合祀墓や散骨の場合、遺骨を埋葬してしまったり、撒いてしまえば再び集めることは困難です。後年「遺骨を返してほしい」といわれるケースもあります。
お墓は亡くなっていく人の為だけではなく、この世に残された人の心の拠り所でもあるということを忘れずにご家族でよくご相談いただければと思います。

亡き方のご命日や、お正月や春・秋のお彼岸、お盆などの季節が一般的ですが、進学や結婚などといった人生の節目にも、ぜひお墓へお参りしましょう。お墓が菩提寺にある場合は、まずご住職さまにご挨拶をし、本堂のご本尊さまにお参りをします。お墓に到着したら、まずは合掌・礼拝、お十念をとなえてから清掃をします。きれいになったらお花、お線香をあげ、墓石に水をかけ、あらためて合掌しお念仏をとなえ、あなたの想いを亡き人やご先祖さまにお届けください。お墓参りの作法や掃除については以下の動画で詳しく解説しています。ご興味のある方は是非ご覧ください。

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「田舎のお寺にお墓があるけれども、遠くてお参りにいけない」
「身内も親戚ももう故郷にはいなくなったので、お墓を移したい」
こうした際には、まず故郷の菩提寺に事情を説明し、よくご相談ください。お墓の移転は不可能ではありませんが、移転がよいか、あるいは分骨がよいかなど、十二分に話し合うことが大切です。現住地付近のお寺や霊園などに移すことを決め、事務手続きを終えるなどしてから結論を伝えるのではなく、はじめにご相談することを心掛けてください。

浄土宗が大切にしている『無量寿経』では、お釈迦さまが「お経を声に出して読み、その教えのままに修行をしなさい」と説かれています。
お釈迦さまの勧めることをしっかりと実践することで「功徳」を積むことができ、この功徳は、他の人々や亡き方、ご先祖さまにも「回向」という形でおすそ分けすることができます。
そのため、お坊さんはご法事や法要でお経をよんで功徳を積み、回向しているのです。

「阿弥陀」とは、インドの古代語であるサンスクリット語が語源で、量り知れないほどの光を放つ仏さま、量り知れないほどの(寿)命を持つ仏さま、という意味のお名前です。
この世で苦しみの中に生きざるを得ない私たちに常に寄り添い、やがては光の中に救い摂り、二度と苦しみの世界に舞い戻らない素晴らしい浄土に迎え、さとりの境地に導いてくださる仏さまです。

極楽とは、阿弥陀さまがいらっしゃる「極楽浄土」のことです。
そこは、美しい風景が広がる世界。あらゆる苦から離れ、おさとりを目指して真っ直ぐにすすむことができ、二度と苦しみや迷いの世界に戻ることはありません。
極楽で常に説法をされている阿弥陀さまは、この世でお念仏をとなえる私たちのことを、見守り、その声を聞き、念じてくださっています。そして、いよいよ命尽きる時には、自らお迎えに来てくださるのです。

「菩提寺」の「菩提」とは「さとり」「めざめ」を意味する言葉。つまり菩提寺とは、亡くなった家族や親類一族などが、後の世で一切の苦しみから解き放たれ、仏さまのお導きによってさとりを開くことができるように、仏さまのお護りをいただいて安穏な後生でありますように、といった願いの意味が込められたお寺、ということです。建立のもともとの由縁がどのようなことであれ、先祖の御霊を弔う役割を担っているお寺であれば、お世話になっている側からすれば「菩提寺」ということになります。

「檀家」とは、お寺に対し「檀那」(布施)をしてくださる〝家″のことです。一方で「信徒」という言葉もあります。信徒は一般的に、浄土宗の教えを信じ、浄土宗の寺院に所属されている方を指します。その点においては「檀家」と変わりないのですが、信徒の中でも継続的に先祖供養などの仏事を営み、また、菩提寺の法灯を守るために住職をサポートし、護持する方々を、とくにお檀家と呼んでいます。ただし寺院によっては、菩提寺が管理するお墓を所有しているかどうか、あるいは〝家″単位でみるか(檀家)個人単位でみるか(信徒)など、必ずしも両者の定義は一定ではないようです。また反対に、何ら区別をしていないケースもあります。この二つの言葉を合わせて「檀信徒」という言い方もします。

浄土宗のお寺は全国各地に約7,000ヶ寺あるほか、ハワイ、北米、南米にもお寺があります。
お近くのお寺の情報は「浄土宗寺院紹介Navi」で調べることができます。

浄土宗ネットワーク内「全国行事案内」のページに、全国各地で開催される行事の案内を随時掲載しています。

浄土宗のお坊さんになるためには、「宗徒(しゅうと)」になる必要があります。宗徒になるためには師僧(=師匠となる浄土宗僧侶)を求め、弟子入りすることから始まります。
まずはご縁のある浄土宗寺院にご相談下さい。

亡くなってから七日目を初七日、次の七日目を二七日、三七日、四七日・・・・・・というように、七日ごとに勤める法要を中陰法要と言います。最後の七七日(四十九日)は満中陰(中陰が満る)と呼ばれます。
中陰表はこの法要を実施する日を記した表です。