成道会

お釈迦さまがさとりを開かれたこと(成道)を記念して12月8日におこなう法会です。お釈迦さまのお誕生を祝う花まつり(灌仏会、4月8日)やご命日に勤める涅槃会(2月15日)と並んで、釈尊三大法要の一つに数えられます。

浄土宗ではお釈迦さまが修められた苦行に思いをいたし、仏教を開かれたこと、またお念仏の教えを伝えてくださったことに対する感謝の意を込め、お釈迦さまの名(南無釈迦牟尼仏)と阿弥陀さまの名(南無阿弥陀仏)をとなえて勤めます。
その成道会について、お釈迦さまの苦行からさとりへの道筋を紹介します。

お釈迦さまは王子さま

お釈迦さまは今から2500年以上の昔、インド北部、ヒマラヤの麓にあったとされるシャカ国の王、シュッドーダナとその妃マーヤーとの間に生を享けました。シッダールタと名づけられ、将来の王となるためあらゆる教育を受け、夏と冬と雨期とのそれぞれに適した家を有して季節により住み分けるなど、恵まれた環境に育ちます。

青年期を迎えたある日、父と共に出かけたシッダールタは、ひとりの農夫が振り下ろした鍬により掘り出された1匹の虫にあわれみを感じ、さらにその虫が鳥に食べられてしまう様子を目の当たりにして、世の無常を感じ、深く心を痛めたといいます。

その後も、隣国からヤショーダラを妃に迎え幸せに暮らす一方で、もの思いにふけることが増え、ついには跡取りとなる男子ラーフラの誕生を契機として髪を落とし、この世の真理を探求したいと出家を決意します。

難行苦行、そして…

多くの修行者と語り、教えを求め、様々な行を実践したシッダールタでしたが、その苦悩は消えず、やがて徹底した苦行にさとりの道を求めるようになりました。

片足で立ち続けたり、山に籠り何十日ものあいだ断食を行ったりと、数々の苦行を6年も続けたといいますが、それでも求めているものに到達できません。体はいよいよ衰弱し、かえって不安や焦りが膨らむばかりとなり、このような苦行ではさとりを得ることはできないと、ついに山を下りる決心をしました。

ナイランジャナー河( 尼連禅河=にれんぜんが)の畔にたどりついたシッダールタは河に入って沐浴し身を清めます。そして木陰で休んでいるところに通りかかった近くの村娘、スジャータから乳粥の施しを受け、徐々に体力を回復、菩提樹の木陰で瞑想に入りました。
この瞑想の間、数々の悪魔の誘惑があったと伝えられています。

悪魔にうち勝ち…

裕福だった王子の生活に引き戻すような誘惑、妥協を促すような誘惑、野獣や多くの軍勢が攻め入る幻想により恐怖心をもたらそうとするもの、またそうした〝悪魔の誘惑〞(実はシッダールタ自身の心のうちに生じる葛藤や不安といったもの)だけでなく、飢えや渇き、眠気などの生理的な欲求など、次から次へと襲ってきたといい、シッダールタは、それらの誘惑の一つひとつにうち勝つことに努めたのです。

シッダールタは49日間におよぶ瞑想によってそれらにうち勝ち、最高の境地であるさとりを得てブッダとなりました。 出家して6年、シッダールタ35歳、この日が12月8日、明けの明星が輝く時であったといわれ、静かに掌を合わせて「南無仏」ととなえたということです。

このように、お釈迦さまの信念によって興り、日本へと伝わった仏教。さとりを得た際にとなえられた「南無仏」とは〝仏に帰依する〞という意味です。浄土宗のお念仏〝南無阿弥陀仏〞も、それと同様〝阿弥陀仏に帰依する〞ということにほかなりません。

12月8日の成道会には、お釈迦さまの苦難を思いつつ、感謝のお念仏をおとなえいたしましょう。