アゲハの教え

蒸し暑い日の夕刻でした。ポタッ、ポタッと雨音がしたと思ったら、ものの数秒のうちに前も見えなくなるような激しい夕立となりました。いつの間にか風も吹き荒れています。そんな中を、駅前まで歩いて買い物に出ている家人が戻っていないことに気付きました。するとすぐに「一歩も動けず、商店街の角の店先で雨宿りしている。傘もない。車で迎えに来て」とSOSのLINE(ライン)。傘があっても役に立たない降り方の中、車で迎えに行きました。店の前のガードレールに遮られ、10メートルほど離れて車を止めましたが、家人は車に気付くと一直線に走り込んできました。寺に戻り家人にタオルを渡しながら、私はかつてのある光景を思い出しました。

同じような夕立があった時のことです。私は寺の窓から境内を眺めていました。視界の中に小さな枯れ葉がひとつ飛び込んできました。吹き荒れる雨風のなか、一瞬のうちに吹き飛ばされてしまうか、地面に叩きつけられてしまうはずなのに、風に逆らうかのように、雨に立ち向かうかのように不規則な動きをしています。人間の目は無意識に不規則な動きにつられてしまうとどこかで聞いた気がしますが、いつの間にか私は、枯れ葉の動きを目で追いかけていました。

 

はじめは不規則な動きに見えましたが、しばらすると不規則ながらも枯れ葉が一定方向に進んでいることに気付きました。まるで自らに意思があるかのように枯れ葉は境内の松の枝先に向かっていくのです。ますます枯れ葉の動きから目が離せなくなりました。そのうち、単に茶色だと思い込んでいた枯れ葉にはっきりした黄色の部分と黒の部分があるように見えてきました。そして風にもてあそばれているだけではなく、枯れ葉そのものにも羽ばたくような動きがあると分かりました。そう、それは枯れ葉ではなかったのです。アゲハ蝶でした。

アゲハは風に吹き飛ばされないように、雨に叩きつけられないように懸命に飛んでいたのです。そしてアゲハには、境内の松の枝先こそが自分のいのちを守る寄る辺にみえたのでしょう。枯れ葉がアゲハ蝶であると気付いた私はハラハラしながらアゲハの行方を見守りました。時に大きく左右に振られながら、時に激しく上下しながら、後退するときもありましたが、アゲハは松の枝先にたどり着きました。激しい雨風はアゲハにとって絶望的な状況であったかもしれません。でもアゲハは諦めませんでした。投げ出しませんでした。目指すべき寄る辺を見つけたからです。だからこそ寄る辺を目指して迷うことなく、ただひたすらに飛び続けることができたのでしょう。

その時、自分はどうだろうか、と私は思いました。自分なんてこんなもんだと諦めていないか。投げ出していないか。目指すべき未来があるか、と。アゲハがどのような未来を目指しているのか分かりませんが、松の枝先で羽を休めるアゲハがとても尊い姿に映りました。

(2020年8月17日 袖山榮輝 / 長野・十念寺)