思いがけない贈り物

猛暑とマスク着用の特別な夏を終えて、秋の深まりを日々感じています。5年ほど前に始めた寺でのイベントの準備で、ここ数年10月は忙しくしておりましたが、今年は秋も特別で、晴天の少し乾燥した空気や、虫の音を聞く月夜など、季節の移り変わりをゆっくりと感じる時間を過ごしています。

少しずつこの新しい生活習慣に慣れてきたとはいえ、行事や人との交流が以前と同じようにはできない中、今まで気になっていた、境内の一角にある1坪ほどの花壇の手入れを始めました。この際だから今植えている植物とは違う、別の植物を植えてみよう、とメモ帳に植物の配置図を作り、草取りをしました。

建物の影になるため、地面を埋めているシダなどの植物を取り除いていくと、15センチほどの高さの、植えた覚えのないモミジが生えているのを発見しました。除草を進めていくと、他にもカイヅカイブキが同じ位の背丈になっています。境内にはモミジもカイヅカもあるので、種が風に乗って運ばれ自然と芽吹いたのか、鳥が落としていったのか。自分ではまず配置しないような場所に生えてきた苗を見ながらふと、このまま育ててみるのもいいかも、と思うようになりました。ここまで何もせずに成長したということは、この土地に合っている、という証拠でしょう。

自分でここに植えようと計画し、水やりを怠らず丁寧に育てたとしても、環境にそぐわなければ枯れてしまう植物もあります。一方で、自然のままに芽吹き、知らぬ間に成長しているものもあります。太陽の見守りと降り注ぐ雨、植物に合った環境がここまで育ててくれたのだな、と思うと、モミジもカイヅカも愛しくなって、作っていた配置図は使わずに自然にまかせて育ててみることにしました。

自分の意思で決め、計画し、実行することは、生きる上でとても大切なことで、生活の基本となることだと思います。でも、環境や周りの状況が整わない場合には、一度立ち止まり、計画を変更する柔軟さも必要なことなのだと、この窮屈な生活が教えてくれたように思います。自分で計画したことだけがより良く生きる方法ではない、自然に身をまかせた中で思いもよらない出会いがあることを思うと、自分の人生がとても広く可能性に満ちているように感じられてきます。

植物が太陽や雨に支えられ育っていくように、私たちは阿弥陀さまの護念の中でより良き自分を目指し、自分の置かれた環境を見渡しながら、歩みを進めて行けたらと思います。

(2020年10月13日 今井光順 / 大分教区・長昌寺)