2024年6月:心の中も衣替え
紫式部を主人公とするNHK大河ドラマ『光る君へ』。女房たちの豪華な装束に目を奪われますが、髻(もとどり)まで透けて見える男たちの烏帽子(えぼし)しも涼やかです。聞けばあの「透け烏帽子」、12年前の『平清盛』制作時に、デザイナー・柘植伊佐夫(つげいさお)氏が絵に軽さを出すために考案したものなのだとか。髻は見せてはならぬものだったという史実が演出の後塵を拝したかたちです。
6月は衣替えの季節。冬物から夏物に替われば身も心も軽やかです。また夏らしい素材や色彩は周囲に涼をもたらします。「装い」にはそうした心遣いが託されているのです。しかしながら「装う」と聞くと、息子や孫になりすましたオレオレ詐欺などが真っ先に思い浮かぶ方も少なくないことでしょう。つくづく物事を好意的に受けとめることが困難な時代です。
今から23年前、私は20代後半になってから四国の寺へ帰りました。大阪での会社勤めを終えたばかりで、法衣を着るどころか、法衣に着られるような始末。そんなある日、出先から法衣姿で帰ったところ一人のご婦人と邂逅しました。かつて併設していた保育園で長年にわたって保育士として勤めてくださった先生でした。私にもずいぶん手を焼かれたはずで、このバツの悪さをどうごまかしたものかと、必死で言葉を探し、自身を装いました。ところが先生は私をひと目見るや、合掌されて深々と頭をお下げになられたのです。慌てて私も合掌しましたが、先生の嬉しそうなお顔を拝見すると、ますます言葉は見つかりませんでした。
「水を掬(きく)すれば月手に在り花を弄(ろう)すれば香衣(こうえ)に満つ」。唐の詩人・干良史(うりょうし) の句です。水を掬(すく)えば掌(てのひら)に月があり、花を折れば香りが衣に移る。『光る君へ』では紫式部が桶の水に映る月に道長を重ねて両手で掬うシーンが印象的でした。
葦の生い茂る池にも月は宿ります。遠くからは分からなくとも、近づいてよく見れば葦の奥から顔を覗かせる月影(つきかげ)。お念仏をとなえていれば、妄念の葦が茂っていようとも、暗夜を照らす阿弥陀さまの光明をしっかり頂戴することができると、法然上人はお示しくださいました。どんなに心が覚束(おぼつか)なくとも怠らず努め励む。すると自然に心が具そなわっていくのです。
(愛媛県愛南町 金光寺 吉田哲朗)