今月の言葉

2024年9月:西方の彼方の確かな場所

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西方の彼方の確かな場所

On the other side of the western horizon lies the Pure Land.

私の住むイビウーナ日伯南寺は、南米・ブラジルの人里離れた高台の上にあります。
数年前、社会復帰施設から「外出訓練の一環として参拝したい」と数名の男女が心理療法士と来寺し、本堂に入るなり木魚を指さし「これは何か」と尋ねてきました。私は「お念仏をする時に使います。お念仏とは『NAMU AMIDA BUTSU』と仏さまの名前を呼ぶこと。私たちも呼ばれれば振り向くでしょう。だから、呼べば必ず仏さまが見守ってくれますよ」と、拙いポルトガル語で説明し、「ためしにどうです? 」と、10分程、木魚念仏をしました。最初は聞きなれない木魚の音やお念仏を面白がっていましたが、次第に木魚の音もそろい、お念仏の声も大きくなり、涙を流す人もいました。

お念仏を終えると、「お寺でしかお念仏はできないのか」と問われたので、「いつでもどこでも『南無阿弥陀仏』とおとなえするだけでいいですよ」と伝えるも、心配そうな顔だったので「では夕陽に向かってとなえてください。阿弥陀さまは夕陽が沈む西の方におられます。そこには仏さまと一緒に、今はこの世にいない皆さんの大切な人たちもいらっしゃる」と話すと、涙を流していた人は、再び涙ながらにお念仏をとなえはじめました。帰り際、その男性は「仕事の失敗から薬物に手を出してしまった。お念仏をとなえた時、妻や子供、亡くなった父母を思い出し、夕陽の彼方からみんな見守っていると聞いた途端、家族に見放され、追いやられたと自棄になっていた自分こそ、家族を見失っていたと気づいた。今日のことは忘れず、必ず家族の元に戻る」と手を握りしめ話してくれました。

今も施設から参拝とお念仏を頼まれますが、利用者の一人がコロナ禍で配信していた夕日に向かって礼拝する動画を見ながらお念仏して、心が安定し、退院したという話を聞きました。あの時の彼だったのでしょうか。あの時気づいた自分を決して見放さない人たちがいる「確かな場所」を支えに、家族の元にいてくれていたらと思います。

法然上人が西方浄土を指し示して850年、その指先は時と海を越え、日本からはるか西、ブラジルの地でも、不確かな世相に不安を抱えながらお念仏をとなえる人たちに「確かな場所」はここだと指し示し続けています。

(南米 イビウーナ日伯寺 櫻井聡祐)