2022年02月:今こそ よく聴き よく遺す
まだ寒さの残る2月。「コロナ禍」という言葉を耳にするようになってから早2年が経ちましたが、未だ不自由な生活が続いています。ネットでは匿名での誹謗中傷やデマといったものが話題になりました。未知のウイルスがまん延し、閉鎖的な環境の中で不安やストレスからチクチクと棘を持った心が生まれてきてしまうのも分からなくはありませんが、棘を持った者同士が触れ合ってもそれは互いに傷つけ合うばかりです。
私が勤めているお寺は寺町にあり、周囲には他のご宗派のお寺が多く並んでいます。先日、近くのお寺の前を通りかかると、掲示板にはこんな言葉が書いてありました。
「われ以外みなわが師である」
これは、小説『宮本武蔵』の作者・吉川英治の言葉で、自分以外の人や言葉、物や出来事などあらゆる物事は自分に何かを教えてくれる師であるという意味です。
やはり人は自分自身が大切です。そして、自分を包む「殻」が割れないよう堅くすることを考えがちです。しかし、少し考え方を変えてみると、反対に柔らかくする方法があることに気付きます。跳ね返すのではなく、「吸収する」姿勢です。誰からでも、どんなささいなことからでも学ぶものはあります。そして、吸収したものはまた次の人へと伝えることができます。
仏教のことばに「多聞多見」というものがあります。これは、仏の教えを多く見聞して学問があるという意味で、一般的に知恵があり博識な人のことを指す言葉としても使われます。読んで字のごとく「多くの事を聞き、多くの事を見る」ということですが、単に聞いて見れば良いのではありません。
常にあらゆるものへ学びの心を持ち、謙虚な姿勢でしっかり目と耳と心を傾けることが大切ということです。他者からの言葉へ素直に耳を傾け、受けとめることは簡単なことではありませんが、この一言一言、一期一会のご縁を大切に日々送らせていただくことで少しずつ棘が消えてゆき、心がまあるくなっていくと思います。
「今日はどんな師と出会えるだろうか」と、「多聞多見」の心を大切にして日々の生活を送り、そして得られたものをまた人に伝えていきたいものです。
(茨城県坂東市 常繁寺 船橋了照)